ケロログ
November 26, 2007, 1:55 pm
十分は本当に十分か
「十分は本当に十分か」I列王記19章13-16節
2007年11月25日 大野キリスト教会主日礼拝にて

「十分は本当に十分か」
I列王記19章13-16節

I. 南へ逃れるエリヤ

バアルの預言者との対決の後、エリヤの命をねらうイゼベルから逃れて、エリヤは南ユダのベエル・シェバ、さらには神の山ホレブまで来ました。このときのエリヤは、自分のしてきた労苦と、報われない結果を思い、弱り、疲れ果てていました。自分の命の終わりを申し出るほどでした。

II. ここで何をしているのか
その中で、神さまはエリヤにかすかな細い声でご自身の存在を明らかにされます。そして、「あなたはここで何をしているのか」と問います。さらにはすべきことを教え、神の業はまだ途中であり、これからもエリヤを用いようとしておられることをお示しになったのでした。


話し合ってみましょう。
・エリヤはなぜそれほどまでに弱り、疲れ果ててしまったのでしょうか。
・あなたは新しく迎える一週間の中で、どのようなことを神さまに託されていますか。
  
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Posted by 中澤信幸(大野キリスト教会牧師) at November 26, 2007, 1:55 pmComments(0)TrackBack(0)
November 19, 2007, 4:42 am
1対450の奇跡
「1対450の奇跡」I列王記18章36-39節
2007年11月18日 大野キリスト教会主日礼拝にて


I. 主のなさる御業
エリヤは450人のバアルの預言者を敵にまわして、対決を挑みました。エリヤ個人が勝手にしたのではなく、神ご自身がエリヤに語りかけ、挑ませた戦いです。
バアルの預言者たちが大声で叫び、踊りまわり、自らを傷つけてバアルに呼び求めても、何も起こりませんでした。それとは対照的に、エリヤは静かに祈り求めます。すると、神は火をもって祭壇のいけにえを焼き尽くしてしまわれました。エリヤの祈りのことばのとおり、「あなたのみことばによって私がこれらのすべてのことを行った」(36節)のです。

II. たとえ障害が大きかったとしても
神が、エリヤをとおして御業をなされるとき、立ちふさがる障害の大きさは問題ではありませんでした。祭壇には、かめに入っていた水がかけられました。しかも、4杯を3度にわたって、です。しかし、神はそのような障害をものともせず、力強い火をもって祭壇のいけにえを焼き尽くされたのです。
私たちも、神が私たちの歩みをとおしてなさろうとしている御業を求め、従う者となりましょう。

話し合ってみましょう。
・エリヤはなぜ祭壇に水をかけてあふれるようにしたのですか。
・あなたの生涯をとおして神さまが御業を行われようとしていることが、どのようにしてわかりますか。
  
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Posted by 中澤信幸(大野キリスト教会牧師) at November 19, 2007, 4:42 amComments(0)TrackBack(0)
November 13, 2007, 11:10 am
この世の労苦も水の泡
「この世の労苦も水の泡」I列王記 18章25-29節
2007年11月11日 大野キリスト教会主日礼拝にて

1. いくら熱心であっても
エリヤはアハブ王のもとに行き、真の神とバアルの神の対決を申し出ます。バアルの預言者たちは、熱心に神を呼び求めました。しかし、それもむなしく、バアルの神は人々にこたえませんでした。人々の側に熱心さが足りなかったのではありません。信仰の対象となるバアルの神が、真の神でないゆえに、人々の熱心さはむなしいものとなってしまったのです。


2. 本当に信頼すべき方に頼って
私たちの生活は、さまざまなものに依存しています。たとえば、仕事や財産、健康、家庭、人間関係などです。しかし、それらをすべて十分に手に入れれば、幸福になれるというわけではありません。なぜならば、真に頼れるお方は、ただひとり真の神であるからです。毎日の労苦が水の泡となってしまわないように、信頼に値する神に頼って、歩み続けましょう。


話し合ってみましょう
・人々にとって、バアルの神はどのような存在でしたか。
・あなたは何を頼りにして歩んでいますか。  
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Posted by 中澤信幸(大野キリスト教会牧師) at November 13, 2007, 11:10 amComments(0)TrackBack(0)
November 5, 2007, 5:07 am
人はパンのみにて生くるにあらず
「人はパンのみにて生くるにあらず」I列王記17章9-12節
2007年11月4日 大野キリスト教会主日礼拝にて

I. 何も持たない者をとおして
イスラエルの悪王アハブの前に出たエリヤは、その後、ツァレファテのやもめのところに身を寄せます。しかし、このやもめはエリヤを養うどころか、自分と子どもの生活のための食料が尽きてしまうところでした。しかし、神はこのやもめに粉と油を与え続け、エリヤを養うようにされたのです。
このように、神は何も持たない者をとおしてでさえ、ご自身の御業を行ってくださいます。

II. パンで人を生かすために
私たちも、そのような神の御手によって生かされています。誇れるほどすばらしい能力や財産があるわけではないでしょう。しかし、神によって与えられるよきもので、毎日、目の前にいる方々の必要を満たすために生かされているのです。
神によって導かれている毎日の歩みの中で、責任や使命を果たして歩みましょう。


話し合ってみましょう。
・エリヤを迎えたやもめの状況はどのようなものでしたか。
・あなたには、毎日の生活の中で、誰の助けになることが期待されていますか。   
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Posted by 中澤信幸(大野キリスト教会牧師) at November 5, 2007, 5:07 amComments(0)TrackBack(0)