September 5, 2006, 12:22 pm
鎖につながれていても
「鎖につながれていても」 エペソ人への手紙6章18-20節
2006年8月27日 大野キリスト教会主日礼拝にて
August 1, 2006, 8:23 am
ほんものの従順
「ほんものの従順」エペソ人への手紙5章21節
2006年7月30日 大野キリスト教会主日礼拝にて
July 10, 2006, 12:55 pm
ほんとうに霊的な歩み
「ほんとうに霊的な歩み」 エペソ5:18
2006年7月9日 大野キリスト教会主日礼拝にて
July 4, 2006, 4:53 am
ほんものを手に入れる
「ほんものを手に入れる」 エペソ人への手紙5章15-17節
2006年7月2日 大野キリスト教会主日礼拝にて
June 26, 2006, 2:45 pm
キリストの光に照らされて
「キリストの光に照らされて」 エペソ人への手紙5章11-14節
2006年6月25日 大野キリスト教会主日礼拝にて
June 19, 2006, 4:07 pm
キリストに出会って変わった
「キリストに出会って変わった」 エペソ人への手紙5章8-10節
2006年6月18日 大野キリスト教会主日礼拝にて
June 13, 2006, 10:13 am
真に求めるべきこと
「真に求めるべきこと」 エペソ人への手紙5章3-7節
2006年6月11日 大野キリスト教会主日礼拝にて
June 5, 2006, 4:43 pm
愛のあるものに変えられる
「愛のあるものに変えられる」 エペソ人への手紙5章1-2節
2006年6月4日 大野キリスト教会主日礼拝にて
May 29, 2006, 2:41 pm
赦し合う仲間とともに
「赦し合う仲間とともに」 エペソ人への手紙4章30-32節
2006年5月28日 大野キリスト教会 主日礼拝にて
May 15, 2006, 5:04 pm
新しい生き方を手に入れよう
「新しい生き方を手に入れよう」 エペソ人への手紙4:20-24
2006年5月14日 大野キリスト教会主日礼拝にて
May 8, 2006, 4:54 pm
消えてなくなる生き方ではなく
「消えてなくなる生き方ではなく」 エペソ人への手紙 4章17-21節
2006年5月7日 大野キリスト教会主日礼拝にて
April 4, 2006, 3:48 pm
愛と真理で人を育む
「愛と真理で人を育む」 エペソ4:14-16
2006年4月2日 大野キリスト教会主日礼拝にて
本当に人が育っていくとはどのようなことなのでしょうか
March 28, 2006, 5:41 am
人生と教会のゴール
「人生と教会のゴール」 エペソ人への手紙4章11-13節
2006年3月26日 大野キリスト教会主日礼拝にて
March 13, 2006, 4:06 pm
与えられる一致を保つ
「与えられる一致を保つ」 エペソ人への手紙4章4-6節
2006年3月12日 大野キリスト教会 主日礼拝にて
私たちは、ひとりひとりそれぞれが違っています。
が、そこに与えられている一致とはどのようなものでしょうか。
人間が、人間として、すべて共有していることがあるとすれば、
それは何でしょうか?
March 6, 2006, 2:43 pm
召しにふさわしく
「召しにふさわしく」エペソ人への手紙 4章1-3節
2006年3月5日 大野キリスト教会 主日礼拝にて
私が神様に呼ばれたのは、どこから呼び出されたのでしょうか。
そして、何のために呼ばれたのでしょうか。
February 27, 2006, 10:44 am
ただ神にのみ栄光が
2006年2月26日(日) 大野キリスト教会 主日礼拝にて
「ただ神にのみ栄光が」 エペソ人への手紙3章20-21節
Soli Deo Gloria 「ただ神にのみ栄光が」とは
何度か耳にした言葉かもしれません。
そういいながら生きていく歩みとは、どのようなものでしょうか。
February 17, 2006, 5:07 pm
神の愛の大きさはどれほどか
「神の愛の大きさはどれほどか」エペソ人への手紙3章17-19節
2006年2月12日(日) 大野キリスト教会主日礼拝にて
バレンタインデーの季節です。
あなたは本当の愛を知っていますか?
神の愛はどれほど大きいのでしょうか?
その大きな愛で、いったい神は誰をあいしているのでしょうか?
January 31, 2006, 10:05 am
神に近づくために
「神に近づくために」
エペソ人への手紙3章10-13節
2006年1月29日 大野キリスト教会 主日礼拝にて
パウロの務めが示されながら、神の恵みにあずかって歩むべき、キリスト者の姿が勧められていきます。
○ 大胆に確信をもって神に近づく
パウロに与えられた福音宣教の務めにより、神の大いなる救いの御業が明らかになりました。その結果、異邦人クリスチャンもまた「神に近づくことができる」(12)ようになりました。これは、神がキリストにおいてなさった救いの御業と、それを信じる信仰によることです。
神に近づくことは、神が永遠をつかさどる、すべてに及ぶ存在とされていることを考えると、人間には決してゆるされないことと思われます。しかし、神はこのことをキリストにおいて実現されたのでした。しかも、「大胆に確信をもって」(12)神に近づくことができるとは、なんということでしょう。
○ 互いの光栄を求めて歩む絆
「ですから」とまとめられる13節では、パウロと異邦人クリスチャンたちとの関係が示されます。パウロが労する中で直面する苦難は、異邦人クリスチャンたちの心をくじくようなものであってはいけませんでした。むしろ、彼(女)らがやがて栄光をうけるためにパウロが労している恩恵を、感謝して受け取り、それにそった信仰の歩みに励んでいくべきであったのです。
このように、キリストにあるお互いの関係とは、互いの光栄を求め合って、ともに神の御前を歩むものなのです。
January 24, 2006, 9:15 am
この恵みが与えられたのは
「この恵みが与えられたのは」エペソ人への手紙3章7-10節
2006年1月22日 大野キリスト教会 主日礼拝にて
パウロが自分に与えられている務めを明らかにしながら、神の御業が行われていることを語っています。
○ 神ご自身の御業を明らかにする務め
再三繰り返されているのは、「宣べ伝え」(8)、「明らかにする」(9)、「示される」(10)というように、神の御業が語られ、知らされていくことです。
このことは、神の奥義が秘められ限定されたものではなく、すべての人々がその恩恵にあずかるべく、広く分かち合われていくべきものであることを示しています。
語られる対象は、ユダヤ人はもちろん「異邦人」(8)、そして「天にある支配と権威」(10)まで及びます。文字通り、全世界が神の御業に従えられていくための務めを託されたのでした。
○ 神ご自身の御力と恵みによって
パウロは、この務めが神から与えられたものであることを非常に強く自覚していました。彼は、自分が「すべての聖徒たちのうちで一番小さな私」(8)であると告白し、本来は神の御業を託されるに値しない者だという認識を示します。しかし、そのパウロ、かつてキリスト者を迫害してきた者の上に神の力が働き、恵みによって自分がこの働きを託された、といいます。
そして、教会もまた、同じ神の力と恵みによって、パウロに託された役割をともにし、神の御業を明らかにする務めを与えられているのです。
January 17, 2006, 4:21 am
福音の奥義の啓示
「 福音の奥義の啓示」 エペソ人への手紙3章3−6節
2006年1月15日 大野キリスト教会 主日礼拝にて
ここに、「異邦人のために」「キリスト・イエスの囚人となった」パウロが、自分に与えられた重要な福音理解を明らかにします。
○ 神がいよいよ明らかにした救いの現実とは?
奥義、啓示ということばが示すとおり、ここに書かれている事柄は神の救いの業の本質的な事柄です。つまり、いまやすべての分け隔てなく、ひとつの神の民が実現するというのです。
6節は、そのことを3つの表現で示します。「共同の相続者」父なる神から、そろって祝福を受けることを示しています。「ともに一つのからだに連なり」体の各器官はなくてはならないものと理解されるので、異邦人たちもまた神の民の欠くべからざる存在といえるでしょう。「ともに約束にあずかる者」確かに異邦人も神が用意された救いの現実をともに受ける者とされています。
○ 神の民の一員として、胸をはって
パウロは、自分に与えられた福音理解を、このように大胆に語ることによって、異邦人たちが力強く信仰の歩みを進めていくことを願っていました。異邦人たちに、神の民の中枢をともに担う、価値ある存在としての自覚を促しているとも言えるでしょう。
いまや、今まで理解されなかった福音が明らかになり、時代が変わったことが強調されるとき(5節)、信仰者たちの歩みもまた新しい秩序に合わされ、新しくされていく必要があることを説いているのです。
|