森鴎外-14/14- (完) (十四)関白師実の娘と云ったのは、仙洞にかしづいている養女で、実は妻の姪である。
底本: ちくま文庫 「森鴎外全集5」
朗読:みさきすずか
説経節では、任国は奥州、もとの本知に返し置く、という綸旨に、正道は丹後に替えてほしいと願い出ます。
両国を任される流れのなかで、山椒大夫への復讐が行われます。
私見ですが、鴎外は厨子王が成人して以降のできごとに、急速に興味を失っているのではと思われるのです。
溝口健二の映画「山椒大夫」では、あの時代に人買いを禁ずること、とりわけ荘園支配下に介入することは不可能としています。
が、わたしは、鴎外は歴史をではなく、示唆をしたかったのではないかと考えています。
光をめぐる描写について何度かふれてきましたが、 鴎外ははっきりと、主張を持って人物を描いています。
ならば、過去をたんに過去としてではなく、現在をも包含する未来に向かってひらかれた鍵として 書きとどめる試みもあってよいような気がします。
さらにいえば、曇猛律師と小萩への恩賞、また尼寺の建立の記述も、淡白を通り越して冷淡ですらあります。
正道の手に入れた権力は、みずからの能力によるものでも、また経験によってかち得たのでもなく、ただ血縁の地位を襲ったものであること。
師実のひきたても、守り本尊のおかげであって、かれ自身の手柄ではありません。
そう読み解いてくると、さまざまな絆や仕組みから自由ではありえないにしても、作者のまなざしの位置を知ることができるような気がするのです。
家を背負い、走り続けた鴎外の、しかし心の奥底に秘めた個への思いを。
ラスト。
わたしには、めでたしめでたしで終わることができませんでした。
再会は、永遠に喪われた家族を認識することであるかもしれない。
四苦八苦の末、ともかくも年内に完結することができました。
やはり、鴎外は手ごわかったです。
格助詞の読み表しが微妙で、とりわけ地の文のベクトルをどう反映するかてこずりました。
声のトラブルも多発して、読みとおすのにせいいっぱい、声質を変えての表現なんてとてもとても。お手上げとなりました。
さいごにひとつ気になったのは、「冠を加える」ところの読み方です。
ふり仮名が「かんむり」となっていたのでそのまま読んでしまったのですが、あとでききかえすと、「こうぶり」、あるいは「かん」と読むのではなかったかと気になりました。
強引ではありますが、最後まで行き着いてほっとしています。
長期にわたってのぼちぼちの更新をがまんづよく聞いてくださいましたみなさま、ありがとうございました。
最後になりましたが、鴎外のビデオをお貸しくださいました黒柳満さま、たいへん参考になりました。深く感謝いたします。
