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坪井祐実の〜声の空間〜
朗読の空間です。様々な本と出会い、読んでいきたいと思っています。
January 19, 2009, 1:54 pm
「蜜 柑」
芥川龍之介作 「蜜 柑」
15分14秒
ある曇った冬の日暮れである。
私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下ろして、ぼんやり発車の笛を待っていた。
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Posted by yumi at
January 19, 2009, 1:54 pm
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Comments(7)
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この記事へのコメント
浅田
February 4, 2009, 9:36 pm
テキストコメント
坪井様
はじめまして、浅田と申します。
この頃では本を読む機会も少なくなっていました。
そんな時こちらのページを発見し視聴しましたら坪井様の魅力的な朗読を耳にすることができました。
昔中学生の頃NHKFMで聴いたことのあるような綺麗な朗読が聞こえてきたので懐かしい気持ちになりました。
これからも癒しの声を聞かせて頂くのを楽しみにしております。
音声コメント
このコメントには音声はありません。
坪井祐実
February 4, 2009, 11:29 pm
テキストコメント
浅田様
はじめまして、坪井祐実です
コメントを頂いて、本当に有り難うございます
聴いて頂いただけでも、大変有り難いことですのに、
そのように言って頂いて、これからの大きな励みになります
まだまだ未熟で勉強中ですが、こうして聴いて下さる方々から
お励ましの言葉を頂戴して、次へと歩むことが出来ます
ありがとうございます
これからも精進して参りますので、また是非お立ち寄りくださいね
有り難うございました
音声コメント
このコメントには音声はありません。
どんぽのばぶさん
April 8, 2010, 10:36 pm
テキストコメント
◆私は坪井さんの朗読のヘビーリスナーの一人として、率直に言って今回の朗読の仕上がりに関しては「作りすぎの朗読」のようにどうしても感じさせられてしまい大変もったいなく思います。『作り過ぎで、説明しすぎているために聴いていて作品に余白が感じ取れない』のです。
例えて言うと、宝ジェンヌの男役のセリフ回しのような香りがして、それが何ともいえず違和感となって聞こえてなりません。
もっと自然体で、もっとニュートラルに朗読されたほうがもっとはるかに坪井さんの坪井さんらしさが伝わってくる余白のある朗読になると思います。
◆作者の芥川さんが一番伝えたかったであろう処の、作中の主人公が小娘の行動に意表を突かれた驚きや新鮮な体験をしたという出来事が際立って届いてくるような朗読を望みます。
音声コメント
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どんぽのばぶさん
April 8, 2010, 10:43 pm
テキストコメント
◆さて、ではなぜ、このような(作り過ぎの?)読みになったのか、あるいは、なぜ坪井さんはこのように読みたかったのだろうかについていろいろ考えを巡らせてみました。『私は…』という文体の作品であることからある種の読み方のスタイルが誘発されているのかもしれないですね。
TVの、『青年の主張』みたいな弁論大会で演者が壇上で弁論する様なトーンの「私は…、」は会場の大多数の不特定多数の聴衆の「みなさ〜ん」にむかって、私は…と語り出しますね。この居心地はそれはそれで何ら過不足なく十分に表現になっています。
さて同じ『私は…』であっても、芥川龍之介の「蜜柑」の場合の『私は…』に当てはめてみたときにどんなもんだろうかと自問自答しています。
例えば、眼の前の唯一人のあなたに向かって、もしくは数人のあなたたちに向かって独白していくような『私は…』のほうがもしかしたらはるかに納まりがいいのではないだろうか…なんて思いました。沢山考えるきっかけをいただけました。
音声コメント
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坪井祐実
April 9, 2010, 9:10 am
テキストコメント
どんぽのばぶさん へ
いつも聴いて頂いてありがとうございます
ばぶさんの仰るとおりだと思います
何があった…
そんなことはありません
私の力不足というか無力というか
形から入ったからなのでしょう
音声にupするということに際して,今回頂戴しましたご感想を忘れずに
更新してゆきたいと思っています
これからも,遠慮なくビシバシ!!とご指摘くださいね
何度も『蜜柑』を聴いてコメント下さったとか…
申し訳ありません
と同時に心から感謝しております
ありがとうございました
これから,新大阪に向かい広島に戻ります
ありがとうございました...
音声コメント
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どんぽ
April 10, 2010, 10:45 pm
テキストコメント
☆「形から入る…」←それもありだと思います。
『学ぶ』とは『まねぶ』からの転用だという話を以前どこかで聞いたことがあります。良いと思ったことはどんどん取り入れて見たらいいのです。衝動的に取り込んで、それがたまたま「咀嚼・消化しきれないとき」って当然ありますよね。でもね、人間の体って良くできた物で、そういうときにはものすごい勢いで『吐瀉』したり『下痢』したりして体外に強烈に押し出してしまえる、いわば『命を守る安全弁』のようなプログラムが太古の昔から体内に記憶されているのです。だから臆病になることはないし、卑下することもいらないのです。試みたことに対して、後で客観視(聴)できる感性をさらに身につけていけばよいのではないかと思うのです。どこまでいっても『力不足』とか『練習不足』というのは否めない自覚でしょう。あえて口にしない方がいいです。等身大の今のご自身のありようと真摯に向かい合っていく態度を忘れなければそれで充分だと思います。
音声コメント
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坪井祐実
April 10, 2010, 11:24 pm
テキストコメント
どんぽさんへ
有り難うございます
どんぽさんから頂戴しましたご指摘・アドバイスは感謝をしております
今後の参考にさせて頂きますね
ありがとうございました
どんぽさんも「朗読」をなさったるとか…
いつか機会があったら聴かせてくださいね〜
音声コメント
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はじめまして、浅田と申します。
この頃では本を読む機会も少なくなっていました。
そんな時こちらのページを発見し視聴しましたら坪井様の魅力的な朗読を耳にすることができました。
昔中学生の頃NHKFMで聴いたことのあるような綺麗な朗読が聞こえてきたので懐かしい気持ちになりました。
これからも癒しの声を聞かせて頂くのを楽しみにしております。
はじめまして、坪井祐実です
コメントを頂いて、本当に有り難うございます
聴いて頂いただけでも、大変有り難いことですのに、
そのように言って頂いて、これからの大きな励みになります
まだまだ未熟で勉強中ですが、こうして聴いて下さる方々から
お励ましの言葉を頂戴して、次へと歩むことが出来ます
ありがとうございます
これからも精進して参りますので、また是非お立ち寄りくださいね
有り難うございました
例えて言うと、宝ジェンヌの男役のセリフ回しのような香りがして、それが何ともいえず違和感となって聞こえてなりません。
もっと自然体で、もっとニュートラルに朗読されたほうがもっとはるかに坪井さんの坪井さんらしさが伝わってくる余白のある朗読になると思います。
◆作者の芥川さんが一番伝えたかったであろう処の、作中の主人公が小娘の行動に意表を突かれた驚きや新鮮な体験をしたという出来事が際立って届いてくるような朗読を望みます。
TVの、『青年の主張』みたいな弁論大会で演者が壇上で弁論する様なトーンの「私は…、」は会場の大多数の不特定多数の聴衆の「みなさ〜ん」にむかって、私は…と語り出しますね。この居心地はそれはそれで何ら過不足なく十分に表現になっています。
さて同じ『私は…』であっても、芥川龍之介の「蜜柑」の場合の『私は…』に当てはめてみたときにどんなもんだろうかと自問自答しています。
例えば、眼の前の唯一人のあなたに向かって、もしくは数人のあなたたちに向かって独白していくような『私は…』のほうがもしかしたらはるかに納まりがいいのではないだろうか…なんて思いました。沢山考えるきっかけをいただけました。
いつも聴いて頂いてありがとうございます
ばぶさんの仰るとおりだと思います
何があった…
そんなことはありません
私の力不足というか無力というか
形から入ったからなのでしょう
音声にupするということに際して,今回頂戴しましたご感想を忘れずに
更新してゆきたいと思っています
これからも,遠慮なくビシバシ!!とご指摘くださいね
何度も『蜜柑』を聴いてコメント下さったとか…
申し訳ありません
と同時に心から感謝しております
ありがとうございました
これから,新大阪に向かい広島に戻ります
ありがとうございました...
『学ぶ』とは『まねぶ』からの転用だという話を以前どこかで聞いたことがあります。良いと思ったことはどんどん取り入れて見たらいいのです。衝動的に取り込んで、それがたまたま「咀嚼・消化しきれないとき」って当然ありますよね。でもね、人間の体って良くできた物で、そういうときにはものすごい勢いで『吐瀉』したり『下痢』したりして体外に強烈に押し出してしまえる、いわば『命を守る安全弁』のようなプログラムが太古の昔から体内に記憶されているのです。だから臆病になることはないし、卑下することもいらないのです。試みたことに対して、後で客観視(聴)できる感性をさらに身につけていけばよいのではないかと思うのです。どこまでいっても『力不足』とか『練習不足』というのは否めない自覚でしょう。あえて口にしない方がいいです。等身大の今のご自身のありようと真摯に向かい合っていく態度を忘れなければそれで充分だと思います。
有り難うございます
どんぽさんから頂戴しましたご指摘・アドバイスは感謝をしております
今後の参考にさせて頂きますね
ありがとうございました
どんぽさんも「朗読」をなさったるとか…
いつか機会があったら聴かせてくださいね〜