January 17, 2010, 10:15 am
2010年 1月17日
《礼拝説教》 2010年 1月17日 伊東宏明
「休ませてあげます」
テキスト・マタイの福音書 11章28〜30節
主題聖句・「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書 11章28節)
 キリスト教は、神からの招きによって始まります。世の宗教は、人間の側から、神仏の領域に工夫、努力、修行で近付こうとします。キリストは、天地万物の創造主である父なる神から世に遣わされ、人を招きつつ近付いて下さった神からの招待状なのです。
▼1.疲れた人はわたしのところに来なさい
 「わたしのところに来なさい」は、主イエスとの個人的関係の招待です。ユダヤ教の祭司や律法学者達は主イエスを招きを拒みました。しかし、ユダヤ教の律法主義や戒律に疲れた民衆や、取税人、罪人、遊女などは主イエスの御許に近付いてきました。
▼2.わたしの軛を負ってわたしに学べ
 軛は牛馬の首に掛けて、荷車や農耕の鋤を引かせるための道具です。気ままに歩きたいと思う牛馬には邪魔物ですが、主人の考えに従う者には必要な物です。「わたしの軛」は主の軛で、二頭立ての軛です。主イエスと歩調を合わせるならば、荷は軽く、負いやすいのです。教会生活も軛のようなものです。
▼3.休ませてあげます
 「休ませて」の語源は「安心する、力付ける、元気付ける、新鮮にする、宿る」などの意味です。主イエスの約束に間違いがありません。霊的な病人も、精神的な重症患者も、主の許には解決があります。
 罪の重荷は最も深刻です。しかし、主イエスの十宇架の贖いは、その問題に解決を与えています。罪とは「的を外す」ことです。神の御こころから逸れている生活です。主イエスに心を集中して罪から解放されませんか。心の平安は罪ゆるされた心の状態なのです。  
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Posted by 東戸塚キリスト教会 at January 17, 2010, 10:15 am