November 25, 2009, 4:54 pm
北朝鮮で暮らした42年半(第五回)
 ”チュゴラ”は朝鮮語で“死ね”という意味です。

 今回で榊原さんの"北朝鮮で暮らした42年半―少女編―”は最終回です。

 来年も脱北帰国者の証言を引き続きアップしていきます。今後ともよろしくお願いします。
 今回上が日本語で下が朝鮮語です。  
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Posted by 守る会 at November 25, 2009, 4:54 pmComments(1)TrackBack(1)
November 10, 2009, 6:08 pm
北朝鮮で暮らした42年半(第四回)
 第四回をお送りします。
次回は『北朝鮮で暮らした42年半-少女編』の最終回です。

前回と同様上が朝鮮語で下が日本語です。  
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Posted by 守る会 at November 10, 2009, 6:08 pmComments(0)TrackBack(0)
November 10, 2009, 5:59 pm
北朝鮮で暮らした42年半(第三回)
第三回をお送りします。

 本文中のバンチョッパリのチョッパリは日本人の蔑称。半日本人の奴という意味

 ウッパンサリは居候という意味です。

 上が朝鮮語、下が日本語です。  
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Posted by 守る会 at November 10, 2009, 5:59 pmComments(0)TrackBack(0)
July 17, 2009, 1:12 am
北朝鮮で暮らした42年半(第二回)
北朝鮮の清津港に着き、すぐに総連の宣伝がうそであったことに気づきました。榊原さん一家は咸鏡北道鐘城郡下三峰里に送られて農業に勤しむことになりました。父は全く農業の経験はありませんでしたが、北朝鮮では職業選択の自由は全くありませんでした。母は寝たきりの毎日でした。

翌年一九六二年の二月か三月の冬、父親が突然いなくなり、大騒ぎになりました。総出で捜索したところ、三日目に山中で見つかりましたが、精神に異常をきたしていたのです。慣れない重労働の農作業、幹部からの圧力、現実への幻滅、自責の念などからでしょう。
(前回と同じく上が朝鮮語、下が日本語です)   
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Posted by 守る会 at July 17, 2009, 1:12 amComments(0)TrackBack(0)
June 16, 2009, 2:35 pm
北朝鮮で暮らした42年半(第一回)

榊原洋子さんは誕生まもなく、広島に住む在日朝鮮人である金容徳、崔花子夫妻のもとに養子として入りました。正確な誕生日はわかりませんが、一九五〇年二月四日の旧暦に当たる日の日柄が良いという理由で同日を出生日として届けています。両親は土木作業員などを熱心に働き、生活を支えていました。

ところが、一九五九年母が脳出血で倒れ、自宅で寝たきりの状態となり、当時九歳の榊原さんには看病や介護が出来ず、父親が看病に専念するしかなかったため、仕事に余り行くことができなくなり、一家は次第に貧しくなっていきました。

同年一二月から北朝鮮への帰還事業が始まり、家に朝鮮総連の人々がやってくるようになり、熱心に北朝鮮帰国を両親に説得しました。北朝鮮に帰国すれば、職業、住居は斡旋してもらえ、学費、医療費は無料といわれ、学校に支払う給食費にも悩むようになっていた榊原さん一家は、ついに帰国を決意、一九六一年五月二十六日、新潟から北朝鮮に旅立ちました。

(上は朝鮮語、下は日本語です。)  

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Posted by 守る会 at June 16, 2009, 2:35 pmComments(0)TrackBack(1)