ケロログ
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GoogleAdsense
August 31, 2015, 4:15 pm
退屈してたって
よく行っていた、そして日記もよく書いていた、とある、趣味のSNS、
近頃、とんと面白くない。
登録人数は多いものの、実際に出入りしているメンバーは固定されてしまっているし、
いつも同じようなことばかり話題にあがり、すっかり、うんざりしてしまっている。
仲良しさんでワイワイ集まって、身内の話で盛り上がっている感が、ますますわたしを遠ざける。

つまらない、しょうもない、くだらない、じつに短文の(しかも内容のない)日記のアップにも、
多くの賛同の拍手やコメントが並ぶ。
拍手数やコメント数は、記事内容に、まったく比例していない。
わたしがそう感じるのは、そのSNS記事に対する利用スタンスや好みが、わたしとは違うからだろう。

同じSNSで、コラムを書いている人もいる。
その中で、ううう・・・む、と唸るほど、素晴らしい内容の記事があるが、閲覧数は、見るも無残な数になっている。
まったく理解に苦しむ。

こう書くと、読む人にとっては、不快感いっぱいで、わたしは、またまた地の底を這いずり回る羽目に陥ること必至であるが、
世の中の人々は、圧倒的多数が、考えが浅く、その場限りの時間つぶし、場当たり的に時を過ごしているように感じる。
おそらく、わたしが行くネット場所が、そういうところばかりなのが遠因だろう。
天にに向って唾を吐いている状態だ。
わが身に跳ね返る。

とてもマジメなものを好むくせに、自分があまりマジメでないから、
マジメ一本やりのところでは、とたんに眠くなってしまう。
目をキラキラ輝かせて読むのだが、あら不思議、数本、読んだだけで、瞼が下りてくる。

硬軟、両方欲しいが、ジャンルや、その混ざり具合や比率など、
そんなもの、自分の好みにぴったり合うものなど、この世に存在しない。
ないものねだりをするので、いつまで経っても、あっちをうろうろ、こっちをうろうろ。
偶然に落ちているものを拾い、いいとこ取りをする。
いいとこがなくなると、去る。

それ以前に、時間がなくなると、そんな当てのないヒマつぶしは、しようがない。


ちなみに、
(ここから本題だったりする。長い序章、前文、ごめんなさいの気持ち)

女性は、不幸ネタが好きである。
いかに自分は不幸か。
その不幸ぶりが手に取るように、目に浮かぶように、想像できる、超絶・不幸生活。
特に、不幸な結婚生活。
これは、ウケる。

生活範囲がさほど広くない人にとって、生活の中身が、自身の幸せバロメーターであると感じる。
そこには、夫をはじめ、家族との確執や、避けることの出来ない不幸ネタがぎっしり詰まっていれば、詰まっているほど、読む側は、わくわくするようだ。
これが、仕事の話だったとしたら、興味、共感を得ることは、ほんの少ししかないだろう。

なにが幸せの基準か。
隣の奥さんと比較する?
隣の芝生は青い?(使い古されたフレーズ)

比較でしか、自分の幸せを実感できない。
しかも、自分と、ほんの少しだけ近い人と、比較する。
毎日の食事にも事欠く人が、世界有数の富豪を妬むか?
毎日の、幼稚園お迎え時の自分が着ていく服に(ライバルママとの優劣を視野に入れつつ)、悩むママが、
ハリウッド人気女優に嫉妬するか?
自分とシーソーゲームをする、ほとんど同じ分野に棲息する人物をライバルと見なし、競争心を煽られる。

かたや、自分より、ちょっと不幸な人を見ると、自分の幸せを再確認できるのだろう。
そういう人を知りたくて、触れたくて、不幸ブログは人気があるかも知れない。
多くの人に、幸せ感を与えるにしても、自分の不幸ネタで皆さんを幸せにするのは、どうだか。
同情させてあげ、憐れませてあげる。

気持ちの荒んだ人が大勢集まってくれて、閲覧数がぐっと上がって、嬉しいかどうか。

しかし・・・
「あるある、そんなこと、うちも同じ〜。」
良いことならいいが、口に出して言えないような負の感情、代わりに表現してくれたら、感情移入もできるし、
もやもや、むかむかしていた、自分でも処理に困る気持ちが、すっきりする。
負の感情のはけ口、ゴミ箱として、大活躍して、閲覧数を上げる。
これは、喜ばしいのか?
別に、いいんじゃないかと思う。
ただし、ウケを狙って、作り話なのに自然を装って、捏造記事を書いて、閲覧数を上げるのは、
なりふり構わず、浅ましいと感じる。
が、企画力、文章力のある人なら、サラサラ、スラスラだろうけれど、
そんな人は、そのような場をうろつかない。

わたしは、読む側ではあるが、同時に書く側でもある。
読み手と、書き手の目。逆方向から同時進行である。

ヒマをもてあますと、ろくなことがない。
が、ごく稀に、偶然に、面白い拾いものをする場合がある。
その時は、ラッキーと喜んで、それまでのつまらない退屈時間の元を取ることができる。
(営業費は必要経費のようなものか)
が、いつもいつもそんなことはなく、
退屈な時間を退屈なまま過ごすのが、通常の一般的凡人である。

釣り糸を一日中垂れていても、何も釣れない、ボウズのときもある。

退屈してたって、手ごたえがなくても、日一日、自分の持ち時間は減っていく。
じつに、もったいない。  
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Posted by 親愛なる小peng at August 31, 2015, 4:15 pmComments(0)TrackBack(0)
January 28, 2014, 12:16 pm
子猫Sofiaの迷い
生命の意義は何ですか?
ずっと従い手配、従う両親は人生の手配に従い、運命に現状の手配。
時には本当に自分に聞きたい、言語治療これらは私が要ったのですか?他人から見れば私は幸せで楽しいが、自分だけの悲しみを隠して心の底でしか味わえ……
私は1匹の子猫が利口だ、みんなの愛の私の優しく可愛い。
私は1匹の子猫をきれいに、誰も私の優雅な美しい。
私は1匹の子猫幸せ、身の回りの人はすべて私に対してかわいがっ。
実は私の最愛天上の飛鳥、ips 韩國 整容愛彼女たちの自由奔放。私は甚だしきに至っては羨ましい屋根の上の野良猫ですが、私は彼らを見て彼らをこっそり見恋愛しないにもかかわらず、お母さん私は彼らとの接触……
時々思い出して時間のあの夢、あれらの奔放な幻想が、私には分からない、私の渇望のあれらの未来どうしてますます遠く、私の夢は、どうしてますます実現できない……
日の順序で、しかし心の中はがらんとしている……
私はSofia、私は1匹の猫自由ほしいDR REBORN。  
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Posted by 親愛なる小peng at January 28, 2014, 12:16 pmComments(0)TrackBack(0)