どこにあるのでしょうか言葉の壁、あるならばその壁、私に見せてください。 そういわれて「はいこれです」と見せることが出来る壁でしょうか、この言葉の壁って。 改めて考えるまでもなく、コレですと誰にも見せることが出来ない壁ならば、なんで言葉に壁があるという表現が当たり前に受け入れられているんでしょうか?余りに当たり前で、疑問すら持てないことに対して、フット立ち止まることが出来るとき、疑問が疑問としてハッキリと見え、同時に解答までもが遠くの方にかすかに見えたりして・・・。
言葉の壁を前にして四苦八苦するのは、外国語に対してハッキリと出てくる苦手意識に代表されるように思います。
人には実に得手不得手があって、それは例えば、お料理の上手な人と味音痴がいるように、車の運転も上手下手がありますよねえ、そして誰もが速く走れないように、言葉に対してもすぐに流れを掴める人と、いつまでも苦労する人がいるようですけれど、私たち夫婦は、まあ大きな声で言っちゃいますけれど、英語ではほとほと苦労するタイプだったんです。
