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<title>馬の耳に念仏</title>
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<description>馬は、念仏を聞かせてもまったく気に留めない。そのように、他人の話が耳に入っても全然心を動かさないこと。</description>
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<title>それも翌日になれば
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<description>　それも翌日になれば、もう忘れて了つて、私は相変らず時々午後の課業を休み／＼してゐたが、七歳の年が暮れての正月、第三学期の始めになつて、学校には少し珍らしい事が起つた。それは、佐藤藤野といふ、村では儔べる者の無い程美しい女の児が、突然一年生に入つて来た事なので。
　百何人の生徒は皆目を聳てた。実際藤野さんは、今想うても余り類のない程美しい児だつたので、前髪を眉の辺まで下げた顔が円く、黒味勝の眼がパツチリと明るくて、色は飽迄白く、笑ふ毎に笑窪が出来た。男生徒は言はずもの事、女生徒といつても、赤い布片か何かで無雑作に髪を束ねた頭を、垢染みた浅黄の手拭に包んで、雪でも降る日には、不格好な雪沓を穿いて、半分に截つた赤毛布を頭からスツポリ被つて来る者の多い中に、大きく菊の花を染めた、派手な唐縮緬の衣服を着た藤野さんの姿の交つたのは、村端の泥田に蓮華の花の咲いたよりも猶鮮やかに、私共の眼に映つたのであつた。クレジットカード	クレジットカードで公共料金を払おう！
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<dc:creator>みう
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<dc:date>2012-05-25T21:49:56+09:00</dc:date>
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<title>理髪師の源助さん
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<description>　理髪師の源助さんが四年振で来たといふ噂が、何か重大な事件でも起つた様に、口から口に伝へられて、其午後のうちに村中に響き渡つた。
　村といつても狭いもの。盛岡から青森へ、北上川に縺れて逶※と北に走つた。坦々たる其一等道路（と村人が呼ぶ）の、五六町並木の松が断絶えて、両側から傾き合つた茅葺勝の家並の数が、唯九十何戸しか無いのである。村役場と駐在所が中央程に向合つてゐて、役場の隣が作右衛門店、万荒物から酢醤油石油莨、罎詰の酒もあれば、前掛半襟にする布帛もある。箸で断れぬ程堅い豆腐も売る。其隣の郵便局には、此村に唯一つの軒燈がついてるけれども、毎晩点火る訳ではない。
　お定がまだ少かつた頃は、此村に理髪店といふものが無かつた。村の人達が其頃、頭の始末を奈何してゐたものか、今になつて考へると、随分不便な思をしたものであらう。クレジットカード	クレジットカードで公共料金を払おう！
</description>
<dc:creator>みう
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<dc:date>2012-05-25T19:30:09+09:00</dc:date>
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<title>理髪師の源助さん
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<description>　理髪師の源助さんが四年振で来たといふ噂が、何か重大な事件でも起つた様に、口から口に伝へられて、其午後のうちに村中に響き渡つた。
　村といつても狭いもの。盛岡から青森へ、北上川に縺れて逶※と北に走つた。坦々たる其一等道路（と村人が呼ぶ）の、五六町並木の松が断絶えて、両側から傾き合つた茅葺勝の家並の数が、唯九十何戸しか無いのである。村役場と駐在所が中央程に向合つてゐて、役場の隣が作右衛門店、万荒物から酢醤油石油莨、罎詰の酒もあれば、前掛半襟にする布帛もある。箸で断れぬ程堅い豆腐も売る。其隣の郵便局には、此村に唯一つの軒燈がついてるけれども、毎晩点火る訳ではない。
　お定がまだ少かつた頃は、此村に理髪店といふものが無かつた。村の人達が其頃、頭の始末を奈何してゐたものか、今になつて考へると、随分不便な思をしたものであらう。クレジットカード	クレジットカードで公共料金を払おう！
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<dc:creator>みう
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<dc:date>2012-05-25T19:24:26+09:00</dc:date>
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<title>カアペンタアは言つてゐる
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<description>　カアペンタアは言つてゐる。「私の経験では、小農者は地方住民中で最善、最優なるものである。私がこゝに小農者といふのは、四十エーカー以下の地を耕作する者を言ふ。（一エーカーは約四反歩）彼等は一般に多芸多能であつて、種々な仕事に変通自在で器用である。そして是れは、狭い場所にて一切を自分で処理せねばならない処から、その必要に迫られて器用にもなり、変通自在にもならしめられる為なのである。かうした人達は、農耕の外に牧畜や斬毛にも携はり、多少は鍛冶屋の仕事も出来る。自分で小屋の修繕もすれば、新らしく建てもする。（自作農の場合には）……若し其耕地が充分でない場合には外に出て労働もする。或は石屋の仕事もすれば、左官屋の仕事もする。此種の人達は多く技能に富み、仮令読み書きの方には不得意でも、或る意味に於て、善く教育された者と言ふことが出来る。」
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<dc:creator>みう
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<dc:date>2012-05-20T17:10:24+09:00</dc:date>
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<title>尚ほ大機械工業に於ける分業制の弊に就ても
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<description>　尚ほ大機械工業に於ける分業制の弊に就ても、シヤルル・フウリエの如きは今から百余年前に注意し、労働の班列制を考案し、園芸と工業とを種々の部分に別けて、一定時間に交替すべきことを説いてゐる。また此頃大機械工業そのものも、或る種類にあつては、却て小規模組織に変ずるを利ありとする意見が出て来た。電気動力の使用の如きは、その主要原因をなすであらう。
　フウリエは大機械工業主義を賛成し、その代り右の如き交替制を案出したのであるが、それは農業に於ても、同様な案を立てゝゐる。然るに工業に於ては細かな分業制も已を得ぬと認める人々も、農業の分業制は不利の場合が多いと説くものが少くない、クロポトキンも、カアペンタアも、それである。馬の耳に念仏 : そもそも、それは何故であるか
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<dc:creator>みう
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<dc:date>2012-05-20T17:09:53+09:00</dc:date>
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<title>かうして現はれる自然的差異は却て国境を超え
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<description>　かうして現はれる自然的差異は却て国境を超え、階級を無視して、人類としての平等観を顕揚するものである。なぜなら同じ階級人にも自然人としては非常に異り、却て他階級人に酷似する者を見出し、同国人と異国人との間にも同様の事実が見られるからである。そして国民間又は階級間の差別が意義のないことを示すからである。
　差異観は平等観によつてのみ明白にされるのである。平等は差別の鏡である。外国に行つて初めて祖国が明知される如く、社会的連帯を見て初めて自己の地位が分る。分業は自発的な連帯によつてのみ維持されるのである。個人の自由は相互主義の道徳によつてのみ保持されるのである。連帯なき分業は翼のない飛行機のやうなもので、発動機は如何に運転しても社会といふ大気の中に有機的に浮ばない。生産のない消費はあり得ない故に、生産者の組合を斥けて消費者の組合のみを模型にするといふのも、片輪である。
馬の耳に念仏 : そもそも、それは何故であるか
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<dc:creator>みう
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<dc:date>2012-05-20T17:09:39+09:00</dc:date>
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<title>デユルケムも人間の類似による結合を無視した訳ではない
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<description>　デユルケムも人間の類似による結合を無視した訳ではない。「同類相集まる」といふ俚言を引いて、さうした事実を認めてゐる。けれども彼が重点を置いたのは差異性による社会連帯にある。同じ目標を持つた者の間には生存の闘争があるが、目標を異にするものの間には闘争が少ない、といふのが彼の観点である。
　併し、交通機関の発達によつて、従来著しかつた民族間又は国民間の諸差異が漸次抹削されつゝあることは事実である。併し又、その差異が抹削されるのは民族間或は階級間のそれであつて、その差異が除去されると同時に自然人としての個人間の差異が著しく眼に付くやうになる。また政治的歴史的地方色に代つて自然的地方色といふものが顕はれてくる。馬の耳に念仏 : そもそも、それは何故であるか
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<dc:creator>みう
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<dc:date>2012-05-20T17:09:11+09:00</dc:date>
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<title>この分業的役割の思想を離れた従来の漠然たる
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<description>　この分業的役割の思想を離れた従来の漠然たる「円満な人物」或は「人格者」といふ様なものは、自由な平等な無強権な社会生活には一種の不具者として寧ろ影をひそめるであらう。社会生活に於ける何等かの労務に服さない英雄的賢人的「人物」や「人格者」は強権時代、階級時代、英雄崇拝時代の遺物に過ぎない。
　分業による差別性によつて社会連帯性が益々鞏固になるといふデユルケムの説に対しては些かの反対意見がある。シヤルル・ジイド教授の如きはその一人だ。ジイドは「かうした差別の真理を否定しないにしても、吾々はその類似による連帯性の軽視や、差異による連帯性への乗気を正しいとは思はない。吾々は寧ろ反対に、類似性こそ連帯の為に未来を持つものであることを希望する」とて社会の各方面に於て、階級間にも、地方間にも、風俗や、言葉や、心の持方まで、旧来の差異が薄らいで益々近似すべく進んでゐると説く。そしてデユルケムは吾々の社会的結合の模型を労働組合に採らうとするに対して、ジイドはこれを消費組合に採らうとする。（ジイド、リスト共著『経済学説史』七一〇頁―七一一頁）
馬の耳に念仏 : そもそも、それは何故であるか
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<dc:creator>みう
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<dc:date>2012-05-20T17:08:45+09:00</dc:date>
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<title>若し万人が同じ生業を営み
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<description>　若し万人が同じ生業を営み、自給自足をするとせば――その様なことはあり得ないが――その人間社会は機械的の結合しか出来ず、連帯性は極めて薄弱で、些かの困難又は外患によつても忽ちに破壊されて了ふであらう。そして外来又は内発の強権力に統一される運命に陥ゐるであらう。諸生物が所謂高等になるに従て諸機関の分業的組織が複雑になり、各部が自働的連帯性を現す如く、人類社会もまた発達するに従て分業が複雑になり、諸機関の間の連絡も益々緊密になる。兎は臭覚と視覚との連絡を持たないが犬の両感覚神経には統一がある。即ち意識が発達してゐるのである。分業による自我意識の生活は、その儘にして社会に有機的に連帯し、それによつて利己は其まゝ利他と一致するに至る。社会と個人とは物質的にも精神的にも一致するに至る。スクレタンが「自己完成とは、自分の役目を学ぶことだ。自分の職務を充すべく有能者となることだ！……」と言つたのはこれだ。馬の耳に念仏 : そもそも、それは何故であるか
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<dc:creator>みう
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<dc:date>2012-05-20T17:08:20+09:00</dc:date>
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<title>資本家が社会から
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<description>資本家が社会から分立して創立したるこの分業的工業は労働者の自我意識に基く分業ではなくて、却て其自我を削殺する純機械的分業である。「賃金か餓えか」に強迫せらるゝ奴隷的分業である。かうした強迫的機械的集合生活に階級的闘争のみあつて、連帯性のないのも、相互精神のないのも当然である。そして此近代文明の主要素たる機械的強迫的分業制が全社会に反映する結果は更らに恐るべきものがある。それは総ゆる方面に於ける社会の最も新鋭分子たるべき若き人々の自我と個性を削殺するに至るのである。
　以上に記するところによつて読者は社会的分業の生理的現象と病理的状態とを略ぼ了察し得たであらう。即ち読者は分業制そのものは寧ろ吾々の社会的連帯生活に欠くべからざるものであるが、これを強制的に行ふことは却て反社会的の為方であり、社会連帯性の破壊であつて、階級闘争を激発するものであることが了解されるであらう。デユルケムがその名著『社会的分業論』に於て、「分業を最大限度に行へといふに非ず、必要の限度に実現せよ……」と説いたのは、かうした理由によるのである。馬の耳に念仏 : そもそも、それは何故であるか
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<dc:creator>みう
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<dc:date>2012-05-20T17:08:01+09:00</dc:date>
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