とにかく一度このページを見て下さい。
http://www.dcsociety.org/index.html
この「創造デザイン学会」というところは、唯物論的人間観や世界観を前提とする近代科学の枠組みを見直し、既存の科学の枠を超えた新しい学問の基礎作りと文化の創造を目指しているそうです。
私がこの世で一番大嫌いな唯物論を、木っ端みじんに破壊してくれる強力な理論を次々と構築してくれている、すばらしい諸先生方のご活躍ぶりを拝見することができます。
生きていてよかった、自分という存在が偶然でたらめに無目的で生きているわけではないのだという理論的確信を、科学的に見事に提示してくれています。
創造デザイン学会の諸先生方に心から感謝申し上げます。
どうもありがとうございます!
今年は永遠に、二度と来ない二〇〇九年です。
皆様にとって最高で一生思い出となる一年となることに間違いありません。
現在は次の瞬間には過去となり、また新しい未来を準備するために現在を生きている私たちです。
この不思議な時間という存在世界の中にあって、どこから自分が来たのか分からず、またどこへ向かっているのかも不明確な中で生きている私たち。
しかし、今年こそはすべての人が自分の真に満足できる理由を見つけて、時間も時代も超越した目的を持って、共存共栄、共に尊敬しあえる美しい世界を建設するために、邁進して参りましょう!
本年もどうぞよろしくお願いします。
川嶋 努
二〇〇九年元旦
今回も知り合いで素晴らしいメルマガを発行されている渡辺さんのメルマガの転載およびその返信文の掲載です。
毎回大いに思索的な刺激を受けるので、非常にうれしい事態になっています。
ぜひこれを読まれたあなたも、感想を送ったり、購読されてみて下さいね。
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以下、メルマガ本文と私の返信文です。
> つばさです、こんばんは♪└(^o^ )X( ^o^)┘
>
> 駒場キャンパスにはネコがたくさん!(通称"コマネコ")
> 先日も人目を憚らず、路上でぐっすり寝てました。
> 僕らは単位をとらないと生きていけないのに、
>
> ヽ(´▽`)/~♪.。ο◯{僕もネコになりたい♪}
>
> でも今朝は違いました。コマネコがなぜか、
> すごくビクビクしていました(〇o〇;)
>
> (^◇^;)>.。ο◯{やっぱり人間でよかった!}
>
> ○o○o○o○o○o○o○
> 《2008年10月22日号》
> ┼┼=[No.283]=┼┼
> ┼┼【特別寄稿】┼┼
> 〜OB・OGからの┼
> ┼┼┼┼メッセージ〜
> ☆。・★。・●。☆。
> ○o○o○o○o○o○o○
>
> 東大OBで会計士をされているハルビン先輩からです(=^0^=
>
> ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
>
> こんばんは、ハルビンです。
>
> アメリカで第4位の証券会社、リーマン・
> 第2位の証券会社のモルガン・スタンレーは日本のメガバンク、
> 9千億円の出資を仰ぎ、アメリカ最大の地方銀行のワシントン・
> 金融界の混乱が続いています。
>
> 今は生き残るのがやっとやっとのアメリカの証券会社ですが、
> 莫大な利益をあげ、
> アメリカ最大の証券会社のゴールドマン・サックスは、
> なんと7千万円!\(◎o◎)/ 新入社員も1千万円支給されたそうです。
> 桁外れの給料に惹かれて、
> 弁護士や官僚も押さえて人気のトップに踊り出ました。
> 高校時代の同級生がリーマン・
>
> それが、たった1年半でこの転落ぶり、盛者必衰、
> の平家物語のことばそのままだと感じさせられます。
>
> 転落の元には、
> 慢心の恐ろしさを戒めた言葉や本は数多くあります。ある本には、
>
> 《▽引用開始▽》
>
> 慢心。失敗の最大原因である。
> 地位が上がり、金ができると人を見下す。
> これで大丈夫とうぬぼれる。
> "実るほど 頭の下がる、稲穂かな"
> 地位が高くなればなるだけ、頭が低い。
> 金ができればできるだけ"稲穂"にならねばならぬ。
> ウヌボレるなよウヌボレるなよと、
> どれだけ言い聞かせても過ぎることはない。
>
> 《△引用終了△》
>
> カメラ・光学機器メーカーのコニカミノルタの社名は、
> "実るほど 頭の下がる、稲穂かな"のうたから取ったといわれています。
>
> 「人は山のてっぺんに登ることはできるが、
> という言葉も聞いたことがあります。
>
> ・♪。・★・。☆♪。・。
> ゜★*
> ・:.
> ・:.。
> ☆。・★。・●。☆。・★。・●。
> 編┃集┃後┃記┃
> ━┛━┛━┛━┛
> なるほど、「慢心が失敗の最大原因」とは大事な教訓ですねY(>
> 太平洋戦争の時も、
> 開戦に踏み切らせたのは、
> 根拠のない慢心と言えそうです・・・
>
> 「自惚れるなよ」と自分でどれだけ戒めても、やっぱり自惚れる。
> しまいには、「オレは自惚れていないぞ」と自惚れるから、
>
> 常に反省する心がけと、
> 道を誤ろうとした時、厳しく指摘して正してくれる友達の存在が、
> いかに大事か、知らされます( ^ー゜)b
>
> ・‥…━━━☆
> 今回は経済問題を通して、会計士のハルビン先輩から、
> 教えていただきましたが、先日号外でもご案内した通り、【10/
> 講師の先生をお呼びしての公開講座を企画しています★
>
> さっそく参加希望の連絡がありましたが、
> 遠慮なく応募してくださいね(=^0^=)/
>
> ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
>
> ▼No.283【金融界の混乱から学ぶこと】はいかがでしたか?
> ぜひ感想や質問、意見などを聞かせてくださいo(^-^)o
> mizuki.foryou@gmail.com(
>
> ▼mixiのコミュニティーにも、ぜひ遊びに来てください♪
> http://www2.skynetdm.com/read/
>
> 風邪の引きやすい季節になってまいりました。
> くれぐれもお体大切になさってください(#^.^#)
> ☆。・★。・●。☆。・★。・●。
>
> 偉そうに
> する値なぞ
> なき身なり
> ┌──┐
> │\/│
> └──┘
> 発行責任者:渡辺 翼(広域科学専攻M2)
「慢心」の存在理由ってなんでしょうね。
人という存在が常に中庸で自分の則を超えず、
やはりそれは、今、ここで、
そんな悠長なこといっていては、
じゃあどうすればいいのか。
まずはその自分の存在理由をなんとしても探求して確実なものをつ
アインシュタインは宗教のない科学は不具であり、
そうして探求して行く内に、自分を中心としていた世界観が、
私は造られた存在なんだ。
自分が生まれるより以前に、
しかし決してその大きな意志は私に敵対している存在ではなくて、
それは例えれば父母のようなものだ。
今も私はそのどこまでも大きな父母によって愛されて、
いつかお返しが何かできればと思う。
周りの人に対して何か喜んでもらえれば、
どこまでも自分も愛を求めるのではなくて、
だから謙虚にならないといけないな。
相手の立場に立って、
それが自分の存在理由だ。
…慢心ってなんだろうか。
なんだかそういう自己中心的な気持ちに対しての、
自分の本当の存在理由を知らないことに対しての、
人間的な不安定なものに寄りかかって自分を支えようとしていたか
存在理由が明確に判明した自分は強い。
どんな人間的な価値に対しても、
そして自分は父母の永遠の愛の対象であるという価値が良く分かっ
父母である神様と自分との永遠の親子関係を発見した立場というも
早く誰しもそういった境地の世界で生きることができるようにしな
どうもありがとうございます。
それではまた。
川嶋努
今回は、筆者の合唱好きが高じて、新しい「聖歌総合版」の本が出た際に、キリスト教の超教派で講習会が行われているところへ、なんの教会の縁も無く単身で参加させていただいたのですが、そこからいつの間にか参加することになったヘンデルの「メサイア」公演のお知らせです。
今年2008年の12月7日に練馬文化センターで、小ホールなので写真ほど今回は大編成ではないようですが、6時10分開場で、6時45分開演です。
なんとすでに通算50回目のコンサートだそうでして、日本語に翻訳されたメサイアというのは、ここでしか開演されないそうなので、貴重だそうです。
確かに英語ですと意味が分かるような分からないような、結局歌だと発音もはっきりしないので聞き取りにくいですから、パンフレットを読みながら聞くので感動もいまいちですが、日本語ダイレクトで聞き取ることができますと、とても荘厳な印象を受けることができて、日常生活ではなかなか味わうことができない新鮮な驚きを味わえますから、ぜひお越しになってはいかがでしょうか。
画像をクリックすると拡大しますので、ご覧になってみて下さい。
やはり、過去の偉大な科学者の方や、義人聖人の方々を見ましても、音楽を非常に愛しているという点では共通項があるようです。
孔子も食事の味が分からなくなるほどのめり込んでいたそうです。
アインシュタインも一流のバイオリニストでしたね。実は彼のバイオリンを使って、現在在日韓国人でジョン・チャヌさんという方が演奏活動をされているそうです。今度そちらのCDなども是非お聞きになってみて下さい。男性的な力強い弦の音色はくせになります。
音楽が国境を越えるということもよく言われますが、音楽も目に見えない存在です。
人間が肉体だけの動物的存在であるのならば、実際目に見えないものは必要ないはずですね。
それなのに、こんなにも音楽は古今東西の人間にとって無くてはならないものである。
別になくても生きていける方もいるとは思いますが、風の音や鳥の鳴き声やさざ波の音など、自然界にはあらゆる音楽的要素が存在しています。
それらのことにことごとく嫌悪感を感じていると、実際地上生活ができません。
しかし実際に自然界に存在しているあらゆる音は、美しいハーモニーがある。だから誰もが好まざるを得ない。
これは宇宙創世の際にすでに織り込まれていたことであると考えて良いでしょう。我々の父母なる神様は、素粒子設計の段階から宇宙を音楽で満たされる事もお考えであったのだろうと存じます。
宇宙の原因的存在ではなくて宇宙の結果的存在である我々が音楽を愛しているということは、我々の原因者たる父母なる神様が現実に存在しているのならば、その御方も音楽を愛されているということでしょうね。我々以上に。
だって我々の原因ですから。
しかも音楽は様々な喜怒哀楽を、見事にその音波の様々な緩急高低の中に織り込んで表現することがあらかじめできるようになっています。
ありますね、楽しい音楽、悲しい音楽、雄大な音楽、かわいい音楽。
しかし、また不思議なのは人間の声ですね。
私もナレーターをしていますので非常に敏感なのですが、人の声というものにはあらゆるその人の人格的要素がすべて練り込まれています。
神経質的な人のしゃべり方、理論的で妥協を許さない人の話し方、ゆったりとちょっとぼけた人のしゃべり方、柔らかいのに芯がある人のしゃべり方、個人的な思い込みが強い人のしゃべり方、公的な意識を持っている人のしゃべり方。
二言三言その人の話を聞いているとすぐ性格を把握することが可能です。その人の全人格の情報が、ちゃんと音の情報としてすべて練り込まれているんです。それはどこの国の言語であるとか、大人であるとか子供であるとかすべて超越して、実際普遍的に存在しています。
逆に声を出して性格を改善するヒーリングなどもありますね。自分にとって理想的な発声訓練を続けることで、その音の波動の影響を受けて性格も改善されるそうです。
とにかく不思議なことは、人間は見えない世界の影響を常に受けて、また発信する存在であるという事実ですね。
どうしてそんなことが可能なのでしょう。
いつの間にか人間として生まれてみたら、そういう能力も授かっていたわけです。
我々の肉体的先祖のお猿さんが意識して、そういう世界との接点になるような能力を望んで、自ら遺伝子を進化させた(?)もしくは長期間の偶発的突然変異によってそういった能力を獲得することに至ったのでしょうか。
遺伝子の突然変異が病的な変異をもたらすものがほとんどの確率を占めているということは医学界では常識ですが、進化論者にはそういった現実は黙殺されるようです。まあ、唯物論者の方も進化論者の方も、自説を曲げない信仰者の方々ですからね…。中世時代のガリレオ・ガリレイの地動説に対してのカトリック教会の様な印象を受けます。
これは冷静に考えれば、少なくても猿以上の、全宇宙の生物的・化学的・物理的・芸術的自然法則を完璧に熟知している、第3者の何らかの手段による介在による生物界との矛盾のない遺伝子操作が完璧に行われて、肉体としての人間への進化を行ったと考えざるを得ないということは自明の理でしょう。
そうでないとあっという間に絶滅するでしょうから、よほど綿密な遺伝子設計を行われたのだと推測できます。
その具体的なサル遺伝子への介入の手段ですが、筆者はおそらく何らかのウイルスを用いて遺伝子を運ばせて、そこで感染してサルの生殖細胞の遺伝子を組み換えさせたのではないかなと考えています。
ご自分の作られた宇宙の自然法則を壊されてまでの介入はされないのでしょう。我々の父母なる神様はあくまでも法を遵守される御方のようでもありますね。見習わせていただきます。
ちょっと話がそれましたが、自分に与えられている音楽に感動する心を、思いっきり味わいたいあなた!
ぜひお越し下さることをお待ちしております。
チケット予約は練馬文化センターか和田さんのお宅まで。
03-3993-0530:和田宅
03-3993-3311:練馬文化センター
ちなみに和田さんは聖歌総合版全編の編集をされたすさまじい努力家の作曲家の方です。毎週火曜日には東京の教会でレッスンをさせていただいております。ソロでも歌えるような発声方法を綿密にご指導いただいております。ありがたいことです。この先生による指揮となります。
それでは皆様のお顔拝見できますことを期待しています。私はこのプロフィールの顔通りで、テナーで歌ってます。分かるかな?
来られた方後で是非メール下さいね。
今回も知り合いの渡辺さんとシューコさんが発行する「みるみる教養が加速する東大マガジン」
の転載と返信文を掲載いたします。
了承も何も得ないままに勢いで載せてしまって、あとで渡辺さんに喜んでいただいたので、また掲載の運びとなりました(^_^)
ありがとうございます!
基本的には一般社会人の方や、東大生の方や、その受験希望対象者の方向けの内容ですが、その内容的な深さがすでに時代を超越しており、これは日本語を判読可能なすべての方が必ず読むべきであるという強い直感を感じましたので、掲載いたしました。
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以下、メルマガ本体と返信文です。
> つばさです、こんばんは♪\(^O^)人(^O^)/
>
> 今日、キャンパスで弟にバッタリ会いました!
> 家では滅多に会わないのに・・・
>
> f(^^;).。ο◯{それはないでしょ!}
>
> ○o○o○o○o○o○o○
> 《2008年10月20日号》
> ┼┼=[No.282]=┼
> ┼┼★★┼★★┼┼
> ┼★こころの┼★┼
> ┼★あたたまる★┼
> ┼┼★ことば★┼┼
> ┼┼┼★┼★┼┼┼
> ┼┼┼┼★┼┼┼┼
> ○o○o○o○o○o○o○
>
> ごきげんよう!シューコですq(≧∇≦*)(*≧∇≦)p
>
> このコーナーでは、「元気の出る言葉」「誰かに言ってほしかった言葉」
> 「生き方を見つめ直す言葉」などを紹介します◎
>
> ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
>
> 《役を済ませて舞台裏に戻れば、人間なんの違いもない》
>
> すべては人生劇場の舞台に上がって、それぞれの役を演じているにすぎないのだ。
> 役を済ませて舞台裏に戻れば、人間なんの違いもないのである。
>
> ~☆・:.,;*
>
> 《「ここだなあ」と思うこと》
>
> 忍耐というのは「ここだなあ」と思い出せば、苦労も軽くなる。
> 親切というのは「ここだなあ」と思えば、イヤ味なく接せられる。
> 勇気とは「ここだなあ」と思えば、許せぬことでも許せるようになってくる。
>
>
> ・♪。・★・。☆♪。・。
> ゜★*
> ・:.
> ・:.。
> ☆。・★。・●。☆。・★。・●。
> 編┃集┃後┃記┃
> ━┛━┛━┛━┛
> いつもメルマガを喜んでくれている、高校2年生・女性から、
> No.281【どんな小さなものでも、いつどんな恩を受けるか分からない】
> に対して、今回も嬉しいコメントをもらいました!(=^0^=)/
>
> 《▽ここから▽》
>
> いつも配信を楽しみにしています!
> 今回のお話もとても考えさせられるものでした。
>
> 途中のライオンとネズミの話は、イソップ童話ですね。
> この間、学校の英語の授業でイソップ自身の話を読みました。
> 内容をまとめますと‥
>
> 《イソップは紀元前620年ごろにギリシャで奴隷として生まれた。
> 大人になると、その知性のために自由を与えられ、ギリシャの多くの地方を
> 旅して著名な哲学者たちと交流した。
> そして彼は、人々の美徳や悪習についての教訓を教えるために、当時人気の
> あった話を加筆しつつ集めていった。
> これがイソップ童話であり、動物たちを通して人間の普遍的な問題について
> 言及しているため、今日まで語り継がれている。》
>
> ‥というものでした。
>
> 紀元前620年という遠い昔に書かれたものが、今回のフォードの話のように、
> 現在のことをこんなに的確に言い表しているなんて、本当に驚くべきことです。
>
> 今回の話を読んで、寓話に限らず、歴史や古典など、今日まで語られてきたものは、
> 途絶えないだけの意味があるのだと思いました。
> 私はまだ知識も経験も足りないため、その意味までは分からないかもしれませんが、
> いつか少しでも理解できるよう 頑張りたいと思います。
>
> 今回も素敵なお話をありがとうございました!
> これからもよろしくお願いいたします!
>
> 《△ここまで△》
>
> 今回も授業で学んだことが生かされてよかったですね(#^.^#)
> 学校の勉強も、自分の人生とか生活につながってくると、楽しくなります!
> わざわざイソップについて送ってくれて、とても勉強になりました★
>
> それと、「寓話に限らず、歴史や古典など、今日まで語られてきたものは、
> 途絶えないだけの意味があるのだと思いました。」というのは、本当にその通りですね( ^ー゜)b
> 物事には流行り廃りがありますが、歴史の重みに耐えて今も現存しているものは、
> それだけ価値のあるもの、それだけ古今東西変わらぬ真実を言い当てているもの、だからでしょう。
>
> 理系の私は高校まで、古典に泣かされ、古典を怨んで(?)来ましたが(笑)、
> 今は学んできてよかったと思いますし、今こそ学びたいと思っていますo(^_^)○
>
> ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
>
> No.282【「ここだなあ」と思い出せば、苦労も軽くなる】はいかがでしたか?
> ぜひ感想や質問、意見などを聞かせてくださいo(^-^)o
> mizuki.foryou@gmail.com(メルマガスタッフ)
>
> ヾ(^_^)Grazie♪
> ☆。・★。・●。☆。・★。・●。
>
> 乏しき時与えるは
> 富みて与えるに勝る
> ┌──┐
> │\/│
> └──┘
> 発行責任者:渡辺 翼(広域科学専攻M2)
以下、つたないですが筆者の感想です。
こんばんは。
今回も素晴らしい読者の方がコメントして下さいましたね。
読者層がいったいどれだけ厚いのだろうかと毎回驚嘆しております。
きっと「良識オリンピック」みたいのがあれば、日本で一番選手層が厚いネットワークなんではないでしょうか。
人生劇場のどんな役割を演じることになるのかは、生まれてみなければ分からないことですし、また、本当に自分が100%生かされて人様に役立てる人生を送ることができるのかどうかは、非常に熱烈な探求心や忍耐力を要することだと思います。普通は妥協しながら適当な落ち着きどころを探りながらになるのでしょうね。
ただ、歴史上の偉人達はみな、普通の人の様な成功で決して満足することができないので、「異常に」がんばったり、人のために奉仕したりします。
歴史を変えるほどまでに自分を燃やして、結果が出るまで人生のすべてを投入する姿勢を見習って、自分もその準備をして生活して行かなければならないと、気を引き締めています。
「ここだなあ」と思う所についても、外界の刺激に対して単純に反応するだけの「哲学的ゾンビ」のような機械的人間ではなくて、その刺激と反応の間に「ここだなあ」という「意識」を介在させることによって、機械的反応から、より知恵のある心情を持った人間としての、良識的な反応をすることができるようになるために、素晴らしい知恵ではないかと感じました。よくこんな良い言葉を見つけられてきましたね。いったい原典はどこなんでしょうか。
イソップについてはそんな昔の方だとは思いもよらず、驚きました。すごいですね。
紀元前500年前後は世界中に偉大な哲学家・宗教家が出現して、人類の知恵のレベルが一気にアップした期間として有名ですよね。ギリシャではソクラテス・プラトン、インドには仏陀、中国には孔子といったところです。
その500年後にちょうどキリストの出現になりますが、彼の信者数は現在20億人を超えていますから、彼一人の影響力の大きさというのは、歴史を超越して次元が違うものであったことを改めて再確認できます。私もクリスチャンではありませんが、彼を尊敬しています。その影響力は未来の世界でも変わらない事でしょう。
ただ、残念ながら人類の良識のレベルというものは、その時代からあまり変化していないというのが定説になっているようです。
それでも、こういった情報化時代がようやく訪れましたから、義人・聖人の言葉や様々な知恵を多くの方と一瞬の間に共有できるようになったことは、意味があることなのだと思います。
このメルマガはこれからも続けて欲しいですね。
まだ見ぬ美しい未来の世界を現実化するために、まだまだ演技する人が足りない!というのが、我々が人として生まれる前にいた、「舞台裏」からの、切実な叫びなのではないかと感じました。
本当に、「舞台裏」ってどうなっているんでしょうね。生まれる前にもっとよく把握してから生まれてきたかったものですが、「舞台上」から推測するしかないので、常にもどかしさがつきまといます。まあ、その辺をつまびらかにすることが自分の今回の仕事かなと、最近は納得しています。
お互いがんばりましょう!
ではまた。
川嶋努
私の知り合いで、素晴らしいメルマガを発行されている渡辺さんへの返信文の転載です。
記事も人間存在の本質を探究されている姿勢が素晴らしいですし、私も毎号非常にためになっているので、ご興味のある方々は是非メルマガの読者になって差し上げて下さいね。
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以下、メルマガ本体と返信文です。
>
> 今朝、読者のSくんとバッタリ!
> すると、僕の時とはカリキュラムが変わっていて、
> 「サイコロの目が本当に1/6の確率で出るのかを検証する」
> 一人が200回サイコロをふり、6人分を合わせ、
> (f^^).。ο◯{じ、地味だね・・・}
>
> 面白かったのはその結果!1〜6の目が同等の確率かと思いきや、
> 「1」と「6」の目が微妙に1/
> 詳しくは聞いていませんが、「1」は目の大きさが大きいとか、
> 「6」は目の数が多いといったことが、関係しているそうですよ〜
>
> ○o○o○o○o○o○o○
> 《2008年10月17日号》
> ┼┼=[No.280]=┼
> ┼┼★★┼★★┼┼
> ┼★こころの┼★┼
> ┼★あたたまる★┼
> ┼┼★はなし★┼┼
> ┼┼┼★┼★┼┼┼
> ┼┼┼┼★┼┼┼┼
> ○o○o○o○o○o○o○
>
> No.275にも書きました、「物質である脳に、
> というのは、非常に面白い問いだと思います。もし、
> それに対して自動的に電気信号が流れ、
> 私たちに「意志」はないのか?という疑問が生まれます(ノ_<。
> でも、間違いなく、私たちは毎日いろいろな「意志決定」
> このメルマガを読もうか、やめとこうか、とか(笑)
>
> では、今まさに、いろいろなことを考えているこの「私」
> 前号に引き続き、理学部数学科に内定したヒロキくんが、
> くれました(=^0^=)/
>
> ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
>
> 昔、インドに大号尊者という人がいた。
> 彼が商人であったとき、他国からの帰途、道に迷って日が暮れた。
> 宿もないので仕方なく、
> 一匹の赤鬼が、人間の死体を持ってやってくるではないか。
> 震えながら眺めていると、間もなく青鬼がやってきた。
>
> 「その死体をよこせ」と青鬼が言う。
> 「これはオレが先に見つけたもの、渡さぬ」
> という赤鬼と大ゲンカが始まった。
> その時である。
> 赤鬼は木の上の大号を指さして、
> 「あそこに、さっきから見ている人間がいる。
> 証人になって貰おうじゃないか」
> と言い出した。
> 大号は驚いた。いずれにしても食い殺されるのは避けられぬ。
> ならば真実を言おうと決意する。
> 「それは赤鬼のものである」
> と証言した。
>
> 青鬼は怒った。大号を引きずりおろし、
> 気の毒に思った赤鬼は、誰かの死体の片足を取ってきて大号に接(
> 激昂した青鬼は、さらに両手を抜いて食べる。赤鬼はまた、
> 取ってきて大号につけてやった。
> 青鬼は大号の全身を次から次に食べた。赤鬼はその後から、
> 青鬼が帰った後、
> 「ご苦労であった。
> と赤鬼は礼を言って立ち去った。
>
> 一人残された大号は、歩いてみたが元の身体と何ら変わらない。
> しかし今の自分の手足は、己の物でないことだけは間違いない。
> どこの誰の手やら足やら、と考えた。
> 街へ帰った彼は、
> 「この身体は誰のものですか」
> と大声で叫びながら歩いたので、
> 未来の医学は、肉体丸ごと替えるかもしれぬ。
>
> 自分のものでない物は、大号尊者の手足だけではない。
>
> ・♪。・★・。☆♪。・。
> ゜★*
> ・:.
> ・:.。
> ☆。・★。・●。☆。・★。・●。
> 編┃集┃後┃記┃
> ━┛━┛━┛━┛
> 「私とは何か?」と聞かれたらどう答えるでしょうか。ヽ(。_°
> 顔を指さして「これが私」と言う人もあるでしょう(笑)
> あるいは心臓が私でしょうか?脳でしょうか?
> 万能細胞の研究が進めば、
> 都合が悪ければ、
> (アンパンマン、新しい顔よー★・・・みたいに!笑)
>
> すると「私」はどうなるのでしょう?
> 私の時計、私の鞄というように、肉体も、
> ですから、死ぬことを「体失」と言われることもあります。
> 「私」そのものがなくなるのではなく、「私」が「体を失う」
>
> 今、茂木健一郎さんはじめ、脳科学者の間で注目を浴びている「
> 何かのヒントを与えてくれるかもしれませんo(*^^*)o
>
> ※クオリアについては、No.275【物質である脳に、
> を参照してください( ^ー゜)b
>
> ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
>
> No.280【私の体は誰の物ですか?】はいかがでしたか?
> ぜひ感想や質問、意見などを聞かせてくださいo(^-^)o
> mizuki.foryou@gmail.com(
>
> (o・・o)/~謝々!!
> ☆。・★。・●。☆。・★。・●。
>
> 知るとのみ
> 思いながらに
> 何よりも
> 知られぬものは
> おのれなりけり
> ┌──┐
> │\/│
> └──┘
> 発行責任者:渡辺 翼(広域科学専攻M2)
御世話になっております。
今回も面白かったです。
目に見えない確率の法則が、
まあこれは例外でしょうが(^_^)
見えない自然法則が私たちをいつも陰ながら支えてくれているとい
国によって違う法則になったり、
ですから宇宙はきっと、
人間の体も小宇宙であるとか言うことも良くありますよね。
つまり、この我々の住んでいる物質世界には、
心は見えない世界の存在で、
人間という存在は、
その価値は到底金銭には換算不可能ですね。
だから聖書だと、
神様にも人間と同じように、男性的性質と、女性的性質があって、
見えない世界のことが、
今後、人間の幸福の要としての科学と宗教は、
やあ、それこそニューフロンティアですね!
以上、今回の感想でした。
次回も応援しています。
川嶋努
以下、白い彗星様のご質問に対しての返答の形で筆者の考えを述べます。
>本来、<武力>というものは 単に戦争をするためにあるのではなく、国家の<権威>として必要なんだと思います。
>また、国家が「生命体」であるかぎり、自衛の武力を持つことは生命体存続の必須的条件ですよね。
白い彗星様
>本来、<武力>というものは 単に戦争をするためにあるのではなく、国家の<権威>として必要なんだと思います。
→<権威>というものは、左翼的には一方的に悪いものと感じられているようですが、実際には父性的性質の象徴であると筆者は考えています。
一つの家庭を拡大したものが社会であり、国家であると考えるならば、当然父的性質と母的性質の両輪がなければ国家の安定は図れません。
母的性質の象徴としては、医療、福祉、介護、少子化対策、住宅手当、弱者対策などの分野であり、父的性質としては軍事、警察、国家存立の正統性、国家憲法、統治機構、司法、行政、立法、交通網などが上げられるのはないかなと考えます。
儒教的には男性を骨、女性を肉と例えるむきもありますが、原理原則、厳格な不変的枠組みを男性的性質として、育児、教育、福祉、介護と言った柔和な維持発展的働きを女性的性質と考えることもできます。
両輪のどちらかが破綻していても国家機能は崩壊しますね。国家は結局社会の最小単位の家庭が相似形で発展したものだからです。
そして、国家存立の正統性というのも、歴史性が無ければ、簡単にテロやクーデターに国家を覆される条件になるのではないでしょうか。
しかし国家の正統性が人の意見云々を超越して、何人も覆すことのできないものであれば、軍人も簡単にクーデターを起こす意識は持ち得ないものと感じます。
そもそも国家の存立には人間が左右できない、神秘的な権威や神話と言えるような内容がどうしても必要でしょう。
クーデターで成立した軍事政権や、共産国家であっても、国家成立時の人物をどうしても神話化していることからも、これは人の常なのだと思います。
人は、国家というものに対して、人間個人としての意識を超越した、より大きな安定性を求めて、どうしても神話を造らざるを得ないのだと思います。
イスラエル民族は2000年間放浪している間にも、旧約聖書を根拠としてついに国家建設を成し遂げました。その後幾たびもの中東戦争を最後まで勝ち残ったのも宗教的情熱によるものであることは明らかです。
その一部として不可欠な機能としての軍事力。これを否定することが出来る時は、地球が親なる神様御本人の原理原則に基づく神託によって統合される日が来る時までは、不可能でしょう。
筆者は、ある程度探し出したこの原理原則を、人に可能な限り伝えて、実際に準備する人々のネットワークを築くことに天命があると確信して行動しています。
>また、国家が「生命体」であるかぎり、自衛の武力を持つことは生命体存続の必須的条件ですよね。
→ これも、どれほど大きな社会的単位であっても、結局人間一人の機能を拡大させたものであるという考えに合致しています。
人間誕生以降、自己中心的存在に堕落し、全体目的を感じられなくなったために、人の痛みを感じられなくなるという「悪」が生じて以来、自己中心の
悪に憑かれた人間を抑制するために、治安維持機構や軍隊は不可欠なものとなりましたが、本来悪が人間に生じていなければ、軍事が必要であったとは筆者は考
えていません。
筆者も、人の体のそれぞれの細胞がお互いを支え合いながら、それぞれの機能を果たして全体目的に貢献するという、全体への奉仕を目的として存在している状態を、社会的にも理想的な状態であると規定していますが、ここで「悪」に属する存在はがん細胞やウイルスでしょう。
彼らは、人体の崩壊を目的として活動しています。しかし彼らにつけいる隙を与えている免疫力の低下は、たいていその人体の所有主の「ストレス」が原因となっていることはよく言われていることです。
ではこの「ストレス」とはなんなのでしょうか。これを筆者は「悪」が心に内在している事による「良心」との乖離による葛藤から生じていると考えています。
つまり人間は本来この「悪」要素が心に存在していなければ、免疫力の低下による病気にはならないし、本来は自己崩壊を誘引する矛盾性とは関係のない存在であったはずだと考えるのです。
しかし同時にまた一定のウイルスやがんというものは自然界に必ず一定量存在しているものであることも知られています。
これは本来は純粋に、より肉体として維持繁殖に適合した強い遺伝子を残す全体目的があるのだろうと考えています。
体はしっかりしたものでないと色々不便を来しますから、今後の子孫達のためにも環境に適した丈夫な肉体の種だけを残して行くべきであるということに意義はありません。
ただ、自分自身の悪に対しての葛藤から生じるストレスを原因とした病気というのは、本来必要はないもののはずです。
そういった考えを踏まえまして、人間本来の善や仁といった徳目と一致した姿であったならば、警察や軍隊なども、必要とされる規模は非常にわずかな
ものであるはずですが、現状の人間の状況が全体目的を喪失した非常に自己中心的な状況であるために、毎年すさまじい予算を軍事に利用せざるを得ないと考え
ます。
根本的な解決策としては、我々はやはり東洋圏に存在している理由としての、儒教の論語の徳目を今一度再認識して、徹底してこれを教育に取り入れる改革をして行く事を提案します。特にこれは教師職に就くすべての人間に対してたたき込まなければならないと感じています。
まさしく人間は本来善を指向して実現して行く存在であるという、その誇りと自覚は、論語を通じて自ずと目覚めるものであることを筆者は痛感しているからです。最近も現代語訳の論語を通読しましたが、あまりにも素晴らしい内容なので、何度も号泣しました。
人は間違いなく、天との絆をその良心の中にはっきりと見つける事無しには、自らの存在理由も、全体目的も分からないまま死を迎えることになるでしょう。
人類には一日も早く革命が必要です。日本がその東洋西洋の架け橋の位置にある希有な存在であることから、その教育分野における国家的使命は明白でしょう。
つまり教育担当は母親の役目ですね。不思議と日本は、たとえばフランス語でもドイツ語でも「日本」という名詞の頭に、女性冠詞がつくのだそうです。国家的性格として女性的であると言うことでしょう。言い得て妙ですね。
以下は桜の花様のご意見に対する回答です。
桜の花様
>他国民や主義主張に下ずく組織的な勝手な言い分でもってのわが国への干渉等々の可能性が散見されています。
>世界の中で 私達も 真剣に「生きる為の環境問題」と対極的に考えをめぐらせば、
結局日本を取り巻く環境が、どうしても武力を背景とした干渉を常に行ってきているので、どうしても仕方がないですよね。
日本だけが先に武装解除すれば近隣国も解除するかと言えば、現状ではあり得ない話でして、逆にますます領海侵犯の度合いを強めて来るであろう事は明白ですからね…。
とにかく、生き残るための武力であって、いたずらに影響力を行使して近隣諸国を脅かすことが目的で武力を保有しているわけではないのですから、これはどう考えても保有を正当化することがまっとうな考えでしょう。
「生きるための環境問題」というお考えは、素晴らしいと思います。軍事アレルギーもかなりその考え方があれば払拭することができそうな気がいたします。ちょっと筆者も使わせていただきます。ありがとうございました。
>拡大理性で考えると言う考え方もあって良いのだと思います。
>従来の理性的思考は狭く細かい思考傾向の為に 肝心要ナ重要な要素を切り捨てる傾向さえあります。
>故に 重要な思考や要素を切り捨てる為に その後に 予想しなかった展開が待ち受けているかもしれません。不幸が起こるかも知れません。
人間はやはり拡大理性、自分の個を超えた思考ができなければ本当に正しい判断というのは難しいのだと思います。
とかく自己中心的な思考が優先して、全体の幸せのために、個をいかなる優先順位にしたがって行動させてゆくべきなのかという、思考方式が未発達なままなのがいわゆる大人になれない大人なのでしょう。
左翼的な方はどうしても反権力が優先されるのでその結果については思考停止していますね。イデオロギーというのは盲目的な未熟な信仰に似ています。
宇宙の原理はもっと深い利他的原理が内在しているのに、最初から闘争して発展ですか。たしか正-反-合の順序ですべての事象は発展していくという
のが弁証法でありますが、闘えば壊れますよね。違いを生かし合ってより相手のためによい結果をプレゼントするための行動でありたいものです。
マルクス・エンゲルス・ダーウィンを中心とした、唯物思想、進化論、共産主義思想をバックボーンとする無神論左翼原理主義者達によって、人類は大打撃を被ってきました。
現在日本において跋扈する日教組・TBS・朝日・毎日がその先兵となって、いまだに国論を不正常な形で分断しています。
キリスト教会も理論的脆弱性によって、共産主義者の培養地となって参りました。カソリックの旧態依然とした硬直的かつ権威的信仰姿勢が内部に腐敗堕落をもたらし、結果的に世界を破滅の一歩手前まで陥れたのです。
こんなにも矛盾した教会や貧困に犯された世界に神がいるはずがないという叫びによって、フランスを中心に人本主義思想が産声を上げ、ロシアに波及し、人間の力だけで計画的に人間と経済を支配するという共産主義国家の出現が、世界を絶望的なまでに傷つけてきました。
彼らには無神論思想を根拠とするバックボーンがあるために、倫理・道徳・人権という思想は一笑に付されます。
これらの徳目は神がいなければ根拠のない空論になるのです。宗教は弱者のアヘンであると言ったマルクスの宗教への個人的怨念が、人間の価値を肉のかたまりと同様の次元にまで落下させることになりました。
未だにその深刻な影響は無差別殺人や自殺などの形で、日本国内でもますます猛威をふるっています。
神様や利他的愛の法則に立脚している宇宙の原理を否定し、恐れるもののなくなった人間は傲慢になります。
北朝鮮や中国の目を疑うような自己中心的振る舞いを見ても、良くお分かりであると存じます。
国家・党中央のためには、いかなる強権的手段も正当化されます。政治犯の虐殺や拉致監禁も彼らの前にはなんの躊躇の理由もありません。
そういった悪影響から日本を守るために、私たちは少なくても自分が生まれた原因的存在である神について、しっかりと知って行かなければなりません。
もはやキリスト教などのいかにも宗教的な、盲目的かつ権威主義的な信仰は、現代人を理論的にも心情的にも完全に納得させることは不可能です。
私たちには、従来の神学的・哲学的内容を超えた、本物の思想が必要です。
それが新しい時代に生きる我々の責任です。
左翼思想には無神論的バックボーンがしっかりとにらみを効かせているため、倫理・道徳を敵視するということがある程度お分かりいただけたのではないかなと思います。
彼らは宇宙の利他的愛の原理原則に対して、無意識に闘いを挑んでいるのです。
結果として反戦・平和を叫びつつ闘争・物議の震源地になっていますね。彼らの作り出す世界は、不信感とねたみと嫉妬が蔓延した、強権的支配による秘密警察国家にならざるを得ないのです。
無神論は根本的に性悪説と同期するから、隣人への信頼感を著しく減衰させます。だから、左翼思想は人を幸せにできません。
目の前の人が、常に自分に利益になるのか、あるいは搾取目的なのかと、疑う所から人間関係が始まるのです。人を愛する絶対的な根拠を持つことができないのです。
それは、自分は人を愛するために地上に来たという、神様から願いを託された自分の存在目的を、人生の苦労から学びつつ認識してから出発する以外には、難しいことではないでしょうか。
以上、なぜ左翼思想が人間を幸せにすることができないのかの論拠となります。
理論的な裏付けが浅い点や、著者の思い込みなど、これじゃみんなに通用しないよと言える点や、もっと理解を深めたい点などありましたらどうぞ積極的にご参加下さい。
あなたの意見が、長い目で見て世界を実際に救います。
ここが、人類に生きる理由を提供するのです。
がんばりましょう!
日本国内の議論だけでは、自分たちが人間として存在している理由にせよ、世界がどこへ向かおうとしているのかにせよ、あまりに何も本質的事実が見えてこない状況に業を煮やしていたので、コミュ立ち上げをせざるを得ませんでした。
人の形をした存在には、人が生まれる以前に、その思想的な存在原因があるはずであり、理想とする目的があるはずだという仮定の下に、すべての内容を組み立ててゆくつもりです。
人間にはその理想がまだまだ明らかになっておらず、また現状の自分自身や、世界の正確な事実認識が、それぞれ自己中心的に把握している段階にとどまっているために、あらゆる混乱が生じているという認識を私はしております。
病気を治そうにも、まず健康な状態というのが分からないので、今病気にかかっているのかいないのかも把握できないのが、現実の人間世界の状況なのではないでしょうか。
ですから、私は今後、まず人間存在の様々な様相から選択して、ここに宗教的倫理観による定義が役立つのですが、理想の健康的人間の状態というも
のを明確に定義して、次に現在のその理想と乖離した病的現象下にある自分自身と世界の状況を正確に診断し、次にその健康状態へ復帰して行くための思想的方
向性とその明確な根拠および習慣性克服の実践を治療手段として、人間存在そのものの価値復興へと繋げて行きたい所存です。
人は偶然自然発生的に生まれたのではなく、神様から永遠の生命と存在理由を与えられて、今ここに来ているということの証明をしてゆきます。
その目的は愛の概念を現実化することによる、永遠の家族的宇宙社会理念の実現にあります。
理想的世界の姿とは、一人の健康な人間に似た世界であるという比喩が聖書に記述されています。
最近は金融恐慌が話題ですが、金融は世界の血液にたとえられ、情報伝達は脊髄などの神経組織に例えられたりもいたします。
司法組織が消化器官、心臓は立法機関、肺が行政組織の働きに似ているということです。白血球が治安維持機関、細胞が一人一人の個人に該当します。
つまり結局は世界がどんなに大きかったとしても、一人の人間の拡大した姿に似ているという事実です。
永遠にその形体に変化は無いでしょうし、より効率化することはあっても、全く違う世界に変貌してしまうということは、どんなに人間が未来世界を予想しても、もう思い浮かべられない段階に来ています。
人間の住む世界は、今後千年程度はその三権分立による基本的枠組みにおいて、大幅な変化は無いだろうという所まで成熟してきているわけです。
ところで、ここには人間の原因と言える、親である存在がまだ来ていないのが人間の世界です。
その親なる方が実在するとして、実際に体を持って生まれてくることで、人間の世界は完成することができると私は考えているのです。
実はその方はすでに2000年前に一度来られたというのが私の認識です。
つまり、それがイエス・キリストです。
この方の空前絶後の価値というものを、キリスト教信者は実際よく分かっていません。
私も何度も教会には行きましたが、盲目的かつ自己中心的要求ばかりを叶えるために、神様やキリストを利用しているのが一般信徒の現実です。
もちろん深い信仰者であれば、自分の利益を捨てて、その人の認識の範囲において考えられ得る犠牲的行動を実践します。
中には奇跡的結果を人類に残された方々もおられます。
日本人なら、新渡戸稲造や野口英世、内村鑑三やその他多くの義人がいました。
神様はそういった自己中心的生き方を超えた義人・聖人を実際に用いて、地上を徐々に治療し、整備されてきたとも私は認識しています。
そして、時が満ちれば、キリスト的な責任を持った方が、人類全体の共通の親としての立場で、再び地上に来る以外にはない、と私は確信しています。
そのために今、私は自分自身を整備し、自分の環境を整備し、知人に自分の認識を伝え、こうしてコミュ立ち上げに自然と至りました。
生きている人の責任は、本人がそれを望むならば、限りなく大きく公的なものになります。
あなたが人生に何を望むのか、人生は望むままにあなたへその責任を下さるでしょう。
私は人間として生まれた方が全員、自分の存在理由、存在目的、永遠の生命の実感的認識を持って、希望的に自分の価値を絶対的に喜びながら生きる世界を実現させたくて、その責任を果たすことを希望しました。
賛同して頂けるなら、ありがたいです。実現がまた一歩近づくことを実感できます。
あなたはその世界にいち早く同参する人になるのかもしれませんね。
一緒に勉強して行きましょう。
以上、コミュ参加に際しての歓迎の言葉とさせて頂きます。
どうもありがとうございました。
ブログの記事、拝見させて頂きました。
> 実は、私自身が「両性愛者」・・・いわゆる、バイセクシャルという類いの人間です。
> 同性愛者とはまた違い、異性に対する不信感や嫌悪感があるわけではなく
> 女性も男性も好きになることがある、というだけです。
> 実際に女性と恋人としておつきあいしたこともございます。
>
> 正直なところ、「病気」という単語を使われてしまうのは、悲しい気持ちになります。
> 過去のトラウマや複雑な家庭環境で異性への不信感を持っている人も確かに存在しますが、
> そんなことはまったくない、普通の家庭で普通に育ったのに同性愛者という方も多くいます。
> 同性愛のメカニズムについては未だ解明されておらず
> 自分でもなぜそうなったのかわからないという人がほとんどですのに、
> 家庭的な悲劇にあった被害者に違いない、あいつらは不幸だ、病気だと言われてしまうのは、
> どうにもやりきれない気持ちです。
>
> 一意見として、投稿させて頂きました。
> それでは、失礼致します。
ご意見拝読いたしました。
非常に深刻な内容なので深く考えないといけないですね。
なぜ人の姿をして生きている存在は、男性か女性という枠組みの中に存在しているのかという、根源から考えて行かないと、これは普遍的な回答には到達できないでしょうね。
一方的な決めつけではなしに、異性愛・同性愛どちらの立場の人にとっても、希望を感じる目的へ到達できるように導ける内容でないといけないでしょう。
まず、人として生まれて来る方は、例外なく自分の意志で生まれている方はおりません。私もあなたもそうですね。
退行催眠なんかで、今回の人生はこういった課題を超えて人格を磨くことを目的に誕生する、ということを計画してから生まれてくる方も、数万例の実例が存在しているのであながち非科学的とは言えなくなってきているようですが、少なくても私たちにおいてはそういった生まれる前の記憶があるわけではありませんし、気がついたら生まれていて、いつの間にか生きなければならない運命の中にいるというのが、誰しも当てはまる人生ではないでしょうか。
親にしてもこういった子供が欲しいので、目鼻立ちはこうやって、性格はこうして、性別はやっぱり…という風に計画して子供を作ることが出来る人間は事実上一人も存在しません。
私たちは皆、例外なく自分の意志で生まれた存在ではないということです。
つまり、自分が原因となってここに来たのではなくて、何かは分からないけれども、もっと人間という存在の前にはその原因的な何かがあって、そこから結果的に私たちはここへやってきた、というのが否定できない事実ではないでしょうか。
その原因的存在である何か、その最も重要であるはずの自分自身のルーツの中のルーツであるその最重要ポイントに関して、漠然とした考えしか持つことも出来ず、実感も何もなく、分からないまま生きるために生きているという、ほとんど精神的に死んだような状況の中で、争いながら迷いながら生きているのが、我々人の姿をした存在達の実情です。
これは男性であっても女性であっても老若男女例外はありません。
人のために無償で生きることに喜びを感じるのでボランティアに精を出す方ですとか、公的な大仕事を達成した時の達成感の喜びのために一生懸命生きる方もおりますが、結局どんなに良いことを達成したとしても、必ず人の姿をした存在には死が訪れます。
生まれたのも自分の意志でなければ、死ぬのも自分の意志ではない。
この残酷とも言える運命圏内の中において、はかない喜びのために一生を費やしている存在が我々人間なのではないでしょうか。
ですから普通は生きていることに嫌気が差すのが当たり前です。それはある程度永遠性への認識を持つことが出来ている人にとっては、正常な感覚と言えるのではないでしょうか。
そして、さ迷いながら生きる運命の中において否応なく生じてくる人間関係。
私たちは通常、最初の人間関係として、一組の父母の扶養の元に誕生します。
父母は自分に先立ってこの世に存在していた人であり、自分は何も分からないままこの一組の父母の元で人生を出発することになったか弱い存在です。
人の形をした存在は、この男性と女性の両性の結合によって誕生し、育ちながら再び自分も同じ父か母の役割を果たして、また子孫を繁殖して地上を去って行く。
この繰り返しが連綿と人類誕生以来、自分という存在がここに来るまでに何千回、何万回繰り返されてきたのでしょう。
しかしそうしながらも、どの時代のどんな素晴らしいカップルであっても、決して完全な愛の形というものを見いだすことは出来なかったはずです。
人類は最初のカップルからすでに家庭を崩壊させて出発した存在であるという記述が、聖書の創世記に見られます。
人類最初の女性であるエバは、自分に唯一永遠不変の男性として与えられていたアダムを裏切り、ルーシェルという自分の家庭教師役の存在(ここでは人間同様の姿をした天使長という表現が使われています)との不倫の性的関係を結んで、そのあとに自分の犯した間違いに対して恐怖を感じ、本来の伴侶であるアダムを誘惑して、結婚前であるのに性関係を結んだことにより、更にお互いに恐怖と疑心暗鬼にとらわれる結果となり、愛の秩序を破壊した罪のためにエデンの園を追放され、天使長も地獄へ落とされたと記録されています。
そしてエデンの園を追放された後に産み落とした子供たちは、兄弟同士で殺し合うという殺人事件を起こしました。
兄が優遇されている弟に対して嫉妬し、石で頭を叩き殺してしまったそうです。当然この兄弟間には相互の信頼も愛情もなく、親であるアダムとエバから受けた愛情というものが機能不全であるかのような、非常に不完全で乏しいものであったことを物語っています。
愛は受ければ受けるほど自然と返したくなる原理が存在していますが、まともな愛を受けて育っているなら、親であるアダムとエバの悲しむことをしようとする心には自ずと抑制がかかって然るべきです。
しかしアダムとエバの家庭では日常的に激しい紛争状態にあったことがうかがえるのです。その延長線上でごく自然に生じざるを得なかった兄弟間殺人事件だったのではないでしょうか。親に感謝する気持ちなど微塵もあり得ない状況の家庭だったのでしょう。
つまり、全人類というのは最初の先祖の段階で大きな間違いを犯して出発したその子孫達なのであり、未だにその愛機能障害を負った姿を克服することが出来ない状況下で、同じ間違いを繰り返すことしかできない運命の子孫を生み増やしているのに過ぎない存在ということが、過去の人類歴史をすべて総括して導き出された結論です。
しかしこれを克服するべく命をかけてきた方々を、我々は宗教歴史の指導者の歩みから知ることが出来ます。
義人、聖人、賢哲、哲人なども同様です。
彼らや彼女らがほぼ基本的に独身生活を貫いてきたのは、自らが愛情機能障害のままで子供を作れば、また同じ過ちを犯すことになるということを、漠然とではあっても認識していたからなのでしょう。
僧侶や神父、尼僧やシスターたちは生涯独身でした。今もその伝統は引き継がれています。
彼らが欲していたのは、人間世界では見つけることの出来ない心の平安、安らぎ、神の愛といったものと一つになることでした。
しかしこれらのものは人類最初のカップルの失敗がなければ誰でも得ることのできるものでした。
宗教というのは、人類全体が掛かっているこの愛情機能そのものが崩壊した状況に陥っている人間を治療するための手段として、天が地上の宗教指導者を通じて、下さったものです。
聖書も仏典も論語も治療方針のヒントが書かれたレシピともいうべきものであり、道しるべというわけです。
当然それ以上の価値があるわけではありませんので、宗教の細かな教条を目的として人間を強制的に強いるべきものではありません。
それを混同して、文明を破壊してマホメットの時代へ逆行させようとするアルカイダの蛮行は断固として壊滅させなければならないでしょう。
未来の子供達を守るために現役世代の大人が命をかけるべき事の一つです。
思想的に妥協してもらえる余地がないならば、思想転向する余地は与えつつ、完全に壊滅してしまうまで実力行使しなければなりません。徹底的に無情であるべきです。
宗教というものの存在理由を明確に認識しているのならば、こういった戦争は起こりえません。しかし人間は特定の宗教圏のなかにどっぷりつかって育つと、健全な批判精神すら罪悪視して抹消するきらいがあります。
宗教は人間が愛情機能に深刻な障害を負ってしまうという事件が起こりさえしなければ、本来は必要性のないものでした。
病気でもない人になんの医者が必要でしょうか。宗教歴史というのは仕方が無く天が出発させたものなのです。
ここで天というのは人間の存在原因です。今ここに私がいる、あなたがいる、その原因です。
私やあなたに人格があって、愛情があって、知恵があり、燃える意欲や希望があるならば、それはまず天にその原因があって、今この私とあなたに生じているものです。
私自身が原因的存在ではなくて、結果的存在であるということは、因果関係として完全に理論的に合致した結論です。
キリスト教では我々人間は造られた側の存在であり、人間や宇宙を造った側の原因的存在は天というのです。
この結論を否定する人は、論理的思考を放棄して、嫌悪感や傲慢な思いから感情的な判断をされているだけです。
そういった思考方式だけでは真理と一致した生活を送ることは難しくなります。つまり、愛情機能障害とでも言える疾病の治療が困難になるのです。真理と一致した行動をとることで、愛情機能障害の克服は可能なのです。
ここで治療という言葉が出てきました。
人類歴史は最初、原始的共同生活体から徐々に社会生活を営むようになり、やがて国家を形成して世界にまで影響を広め、科学の力により地球全体の支配者になったと言われていますが、その内実はひどい闘争歴史の連続でした。
現代にいたってようやく国家間同士の戦争が終息してきたために、まあ最近はロシアの軍事侵攻もありましたが、イデオロギーの違いによる深刻な世界的対立までは及ばないはずなので、せいぜい地域国家間の紛争程度で収束するはずです。
この国家間の戦争が小さくなるにつれて地域間紛争や、さらにより小さな争いに目線が行くようになって参りました。
実際はずっと以前からこの小さなレベルでの紛争というのも頻発していましたが、より大きな紛争の陰に隠れて露呈してこなかっただけです。
では具体的に、その小さな紛争とはなんでしょうか。それが家庭紛争です。そして男女間における紛争です。そして個人において生きる意味を模索しながら惰性に流れてしまう自分自身に対しての紛争です。
自分自身の究極的問題と、正面から向き合って闘争して行くことができる世界的環境が生じてきたということです。
これは天が準備された千載一遇のチャンスです。
そこで同性愛の問題にもスポットが当たってきました。
自分が生きる意味と、同性愛・バイセクシャルであることとなんの関係があるのか。
これは原因的存在である神の願いに逆らって出発した人間が、真に愛と一つになった存在に戻る道における、その具体的克服課題であると言うことです。
愛とはなんでしょうか。
それはまず骨や原理原則に比喩できる力強い性質を持った男性的愛情を持った存在と、肉や現実主義者として比喩される柔軟ですべてのことを実体化する性質を持った女性的愛情を持った存在が、それぞれの愛の形にふさわしい形態を持って、愛を概念ではなくて、実体の形を持ってぶつかり合い、そこに初めて出現するものです。
生殖器の形態というものは、凹凸の形態をとることにより、二つの全く違う性質の実体が、完全に一体化することのできる目的であえてそのように造られているのであり、両方とも平べったくとか、両方とも出っ張らせてはいません。
その唯一肉体のパーツの中で正反対の、生殖器の形態にふさわしい内面性を備えているのです。本来は相互補完しつつ内面・外面とも完全に一致するように造られているのです。
これが同じ性別同士、同じ形体同士では宇宙全体の要素をその一点において十分に顕現することのできない、異形の存在となってしまうのです。
人間に天が望まれる愛の次元はそういった不十分なものではなくて、あくまでも陽陰すべての要素を含んだ完全なものです。
不完全な愛を味わうためにわざわざ造った宇宙ではないし、人間ではないのです。
神はご自身の持つすべての陽的、陰的要素を人間の中に男と女とに分けて投射されました。
しかし我々は今のところ、そういった完全性・永遠性を有した存在として地上に繁殖することが出来ていません。
つまり、人の姿をした存在は、男性として完成し、女性として完成した個人となる責任分担をまず果たしきることによって、神様と同等の価値と愛を有した神的存在となる道が願われていましたが、かつて誰一人としてその責任をまっとうした人物がいなかったために、完全な愛を顕現できる家庭というものを地上に出現できなかったわけです。
その人格完成への過程は完全に一人一人の自主的選択にかかっています。
人間は自らの意思で存在理由を発見し、永遠に変わらない利他的存在目的に従うことで、天が人間創造当初より望まれている個人としての人格完成、家庭の完成、親族の完成、民族の完成、国家の完成、世界の完成へと歩んで行くことが可能になるのではないでしょうか。
人の姿をしている存在が生存している現時点の世界状況は、非常に不安定かつ未完成な状況下に置かれており、かつ例外なく全員が愛情機能障害という深刻な疾病下において、気分次第で相手を取り替えることはもちろん、性別においてさえも特に疑問を感じることなく、確固たる目的も方向性も欠如した人生を送ってゆくことになるのだと思います。
しかし本当に神がこの世界を造ったのだとして、いつまでも人間を追放したままで何もせずに手をこまねいていて、いったいそれのどこが親でしょうか。
確かにそう見えることは一理あるのですが、実はしっかりと神は人間世界に関与されてきた歴史があるということは、聖書に多く記述が残っております。
もちろんその手段は宗教という道具を使ってということになるのですが、その中でも特筆するべきはやはりイスラエル民族でしょう。
この民族だけが唯一神の啓示によって集められた一つの家族から出発して、氏族を形成し、民族を形成し、国家を二〇〇〇年間に立派に築いたのです。
この民族が実在し、かつ世界において大きな力を有している事実からも、神の関与が現実のものであることを証明しています。
そしてその国にはついに自らを神の一人子であると宣言したイエス・キリストという人物が出現しました。
国家的な安全な土台の上にようやく送ることが可能となった、神様ご本人の代身者としてのイエス・キリストであったのです。
しかし当時のイスラエル民族は彼の価値を見抜くことができず、最終的に彼を殺害するに至ってしまいました。
メシヤが来るということを予言者達を通じて何度も述べさせ、準備に準備を重ねたイスラエルであっても、彼をユダヤ教の秩序を破壊する異端者としてしか認識することができずに、王として迎えることに失敗して、十字架刑によって虐殺したのです。
彼は人類歴史発生以来、人類史上ついに最初に完成された男性として、二番目のアダムとして、地上の誤った血統関係をすべて精算する空前絶後の責任を持っていたのですが、殺される事にならざるを得なくなったために、彼はまた自分自身が地上に来ることを明言しております。
その詳細な失敗原因に当たる摂理的な重要人物の不信はここでは割愛しますが、要するに神の関与というものは、神がすべてのことをしてしまって人間を自由に操ることができるというものではなくて、神の関与プラス、人間側での責任が全うされた場合にのみ、その全体的な目的が達成されることができるという原則に貫かれているのです。それはアダムとエバ当時から変わっていません。
もし神がすべてのことを自由に思い通りにできるのであれば、アダムとエバが愛の秩序を破壊してしまう前に、自由に彼らを操って失敗などさせずにすでに思い通りの地上天国は完成しているはずです。
しかし現実は不安定で未完成な世界の中で、誰しも生まれた理由も原因も分からないままに、日々の移ろいの中むなしい営みを続けるだけの状況下にあります。
この状況の中に生まれた私たちが明確に指向すべき事として、上記の内容を自分の責任分担としてまずはっきりと感じ取って頂くということが必要なのですが、同性愛、バイセクシャルというのは、人間存在の性別を通した永遠性を崩壊させる方向性のベクトルを発生させ、人間の価値を喪失させる行為につながり、自分自身の永遠なる存在価値が認識できなくなります。
男性と女性にすべての存在を分けて、これは鉱物の原子核と電子、プラスイオンマイナスイオンから、植物のおしべとめしべ、動物の雄と雌あらゆる存在物に当てはまることですが、その中において永遠の繁殖も可能になり、完全な愛を顕現させることができるという神の創造目的があるのです。
同性愛、バイセクシャルは、この目的に真っ向から反旗を翻す行為となって、自分自身の愛情機能障害がより深刻な状態へ悪化します。刹那的には幸せを感じるような錯覚に陥るのでしょう。しかしそれは永遠には続けることのできないことです。神は永遠でないものを創造されてはいません。
我々は神の創造理想をある程度は認識することができるのですから、分かった分だけ少しでも合わない内容を修正し、より永遠の存在軌道に一致した自分の姿へと自らを変えて行くことが、刹那的な生き方に振り回されている現在の世界に生きている私たちの責任分担です。
決して現状を追認するのではなく、絶えず反省し、絶えず悔い改め、決して責任転嫁をしないで、原因と結果としての自分の姿へと日々少しづつでも一致させることで、間違いなく自分の愛情機能不全を徐々に克服することができ、やがて真に自分自身への誇りと歓びが訪れ、良心の確かな存在と、そこにある神様との絆を明確に自分自身の中に見いだすことができるのです。
私は神の子供である。という永遠に変わらぬ確かな歓びを持って、生きることの価値を最大限に満喫することができるのです。それは神と私との関係が、原因と結果として隙間無く一致した姿に近づく事でしか感じられない境地です。
人が真に永遠の価値を持って創造されている尊い存在であるということを、生きている間に、今、ここで感じることができなければ、人生路程において我々は不幸な存在のままです。
愛情機能障害をキリスト教では堕落とも呼びますが、我々は残念ながら堕落した血統を連結した結実として今ここに来ているのです。
私もそうですし、あなたもそうです。ですから今のままでは人の姿をした存在達は何も誇りを持って生きることはできません。すべては偽りの人生であり、誇りであり、名声であり、価値なのです。
どの分野で堕落した現実を自らの責任として受け持っているのかは人それぞれです。
同性愛・バイセクシャルでの分野の責任を持っている方もいるのでしょうし、他にも様々な責任が託されているのではないかとも思います。
これは自分で選択できることではありません。気がついたらそういった分野の堕落した内容を受け持っているのが現実です。恨むならアダムとエバに対してでしょう。彼らも無知だったので仕方がなかったのですが。
人間に願われている神の創造理想というものを認識していない時には、現状をそのまま放置していても仕方のないことですが、この内容を読む機会を与えられたというのは、偶然ではありません。
望むのでしたら、あなたにも責任を分担して、人類と神様に貢献する喜ばしい機会が訪れたということなります。
科学というものは神の存在を前提として組み立てられているものではないために、道徳や倫理の存在理由を説明することのできる心の世界についての内容をまだほとんど持ち合わせていないので、科学絶対主義、科学万能主義では人間を幸せにするには不十分です。
むしろ科学は神の存在を否定する理論を組み立てる目的で出発したきらいすらあります。ですからこの世界はまだまだ人間にとってすべての情的満足を得られる世界になってはいません。
科学と宗教が一致するにはまだ相当の歳月が必要でしょう。ですから科学的認識の進歩だけに頼る生活を送るのでしたら、あなたが幸せになることができるのは、あと数百年は後になることでしょう。それでは人生が終わっています。科学の進歩は後に見ながら、自分の良心を信じて人類に先んじて責任を果たす方が待ち望まれているのです。
相当長い文章になってしまいましたが、この内容を読んでいるあなたは、時代の先端的な責任が期待されている可能性があります。
私の申し上げることにわずかであっても永遠に通じうる内容を、何か感じて頂くことができるようでしたら、ぜひとも現実の自分自身と、神様の創造理想の自分との隙間を埋めて行くために、日々一歩すつでも前進して行くことを決心されてみて下さい。
あなたがそれを望むなら、世界に対しての自分自身の認識がきっと日々変わってくることを実感して頂けるでしょう。
今現在私が活動を開始しているのは、すべて上記の思想が背景になっています。まだまだ歴史的事実とつきあわせて導き出された事実や、再び来られるイエス様との連携による長期的計画もありますが、ここでは割愛します。膨大すぎる内容なので、理解に合わせてしかお話しできないのです。最低数年間はかかる学習内容になります。
地上に準備された人々がしっかりとまた土台を形成しておくことで、実際にそれは現実になることです。生涯を掛ける価値を実感しています。
それにしても、上記すべての事を荒唐無稽なことにしか感じて頂けない可能性もありますが、こういった文章だけではどうしても限界がありますね。私の表現力や理解力が未熟であるためです。
ですから、また疑問やご意見ありましたらお待ちしております。是非お寄せ下さい。
この度は、お読み頂きまして、本当にありがとうございました。






