ケロログ
October 11, 2008, 10:58 pm
国家は人間に似ている。

以下、白い彗星様のご質問に対しての返答の形で筆者の考えを述べます。


>本来、<武力>というものは 単に戦争をするためにあるのではなく、国家の<権威>として必要なんだと思います。

>また、国家が「生命体」であるかぎり、自衛の武力を持つことは生命体存続の必須的条件ですよね。

白い彗星様
>本来、<武力>というものは 単に戦争をするためにあるのではなく、国家の<権威>として必要なんだと思います。

→<権威>というものは、左翼的には一方的に悪いものと感じられているようですが、実際には父性的性質の象徴であると筆者は考えています。

一つの家庭を拡大したものが社会であり、国家であると考えるならば、当然父的性質と母的性質の両輪がなければ国家の安定は図れません。

母的性質の象徴としては、医療、福祉、介護、少子化対策、住宅手当、弱者対策などの分野であり、父的性質としては軍事、警察、国家存立の正統性、国家憲法、統治機構、司法、行政、立法、交通網などが上げられるのはないかなと考えます。

儒教的には男性を骨、女性を肉と例えるむきもありますが、原理原則、厳格な不変的枠組みを男性的性質として、育児、教育、福祉、介護と言った柔和な維持発展的働きを女性的性質と考えることもできます。

両輪のどちらかが破綻していても国家機能は崩壊しますね。国家は結局社会の最小単位の家庭が相似形で発展したものだからです。

そして、国家存立の正統性というのも、歴史性が無ければ、簡単にテロやクーデターに国家を覆される条件になるのではないでしょうか。

しかし国家の正統性が人の意見云々を超越して、何人も覆すことのできないものであれば、軍人も簡単にクーデターを起こす意識は持ち得ないものと感じます。

そもそも国家の存立には人間が左右できない、神秘的な権威や神話と言えるような内容がどうしても必要でしょう。

クーデターで成立した軍事政権や、共産国家であっても、国家成立時の人物をどうしても神話化していることからも、これは人の常なのだと思います。

人は、国家というものに対して、人間個人としての意識を超越した、より大きな安定性を求めて、どうしても神話を造らざるを得ないのだと思います。

イスラエル民族は2000年間放浪している間にも、旧約聖書を根拠としてついに国家建設を成し遂げました。その後幾たびもの中東戦争を最後まで勝ち残ったのも宗教的情熱によるものであることは明らかです。

その一部として不可欠な機能としての軍事力。これを否定することが出来る時は、地球が親なる神様御本人の原理原則に基づく神託によって統合される日が来る時までは、不可能でしょう。

筆者は、ある程度探し出したこの原理原則を、人に可能な限り伝えて、実際に準備する人々のネットワークを築くことに天命があると確信して行動しています。


>また、国家が「生命体」であるかぎり、自衛の武力を持つことは生命体存続の必須的条件ですよね。

→ これも、どれほど大きな社会的単位であっても、結局人間一人の機能を拡大させたものであるという考えに合致しています。

人間誕生以降、自己中心的存在に堕落し、全体目的を感じられなくなったために、人の痛みを感じられなくなるという「悪」が生じて以来、自己中心の 悪に憑かれた人間を抑制するために、治安維持機構や軍隊は不可欠なものとなりましたが、本来悪が人間に生じていなければ、軍事が必要であったとは筆者は考 えていません。

筆者も、人の体のそれぞれの細胞がお互いを支え合いながら、それぞれの機能を果たして全体目的に貢献するという、全体への奉仕を目的として存在している状態を、社会的にも理想的な状態であると規定していますが、ここで「悪」に属する存在はがん細胞やウイルスでしょう。

彼らは、人体の崩壊を目的として活動しています。しかし彼らにつけいる隙を与えている免疫力の低下は、たいていその人体の所有主の「ストレス」が原因となっていることはよく言われていることです。

ではこの「ストレス」とはなんなのでしょうか。これを筆者は「悪」が心に内在している事による「良心」との乖離による葛藤から生じていると考えています。

つまり人間は本来この「悪」要素が心に存在していなければ、免疫力の低下による病気にはならないし、本来は自己崩壊を誘引する矛盾性とは関係のない存在であったはずだと考えるのです。

しかし同時にまた一定のウイルスやがんというものは自然界に必ず一定量存在しているものであることも知られています。
これは本来は純粋に、より肉体として維持繁殖に適合した強い遺伝子を残す全体目的があるのだろうと考えています。

体はしっかりしたものでないと色々不便を来しますから、今後の子孫達のためにも環境に適した丈夫な肉体の種だけを残して行くべきであるということに意義はありません。

ただ、自分自身の悪に対しての葛藤から生じるストレスを原因とした病気というのは、本来必要はないもののはずです。

そういった考えを踏まえまして、人間本来の善や仁といった徳目と一致した姿であったならば、警察や軍隊なども、必要とされる規模は非常にわずかな ものであるはずですが、現状の人間の状況が全体目的を喪失した非常に自己中心的な状況であるために、毎年すさまじい予算を軍事に利用せざるを得ないと考え ます。

根本的な解決策としては、我々はやはり東洋圏に存在している理由としての、儒教の論語の徳目を今一度再認識して、徹底してこれを教育に取り入れる改革をして行く事を提案します。特にこれは教師職に就くすべての人間に対してたたき込まなければならないと感じています。

まさしく人間は本来善を指向して実現して行く存在であるという、その誇りと自覚は、論語を通じて自ずと目覚めるものであることを筆者は痛感しているからです。最近も現代語訳の論語を通読しましたが、あまりにも素晴らしい内容なので、何度も号泣しました。

人は間違いなく、天との絆をその良心の中にはっきりと見つける事無しには、自らの存在理由も、全体目的も分からないまま死を迎えることになるでしょう。

人類には一日も早く革命が必要です。日本がその東洋西洋の架け橋の位置にある希有な存在であることから、その教育分野における国家的使命は明白でしょう。

つまり教育担当は母親の役目ですね。不思議と日本は、たとえばフランス語でもドイツ語でも「日本」という名詞の頭に、女性冠詞がつくのだそうです。国家的性格として女性的であると言うことでしょう。言い得て妙ですね。


以下は桜の花様のご意見に対する回答です。

桜の花様
>他国民や主義主張に下ずく組織的な勝手な言い分でもってのわが国への干渉等々の可能性が散見されています。
>世界の中で 私達も 真剣に「生きる為の環境問題」と対極的に考えをめぐらせば、

結局日本を取り巻く環境が、どうしても武力を背景とした干渉を常に行ってきているので、どうしても仕方がないですよね。

日本だけが先に武装解除すれば近隣国も解除するかと言えば、現状ではあり得ない話でして、逆にますます領海侵犯の度合いを強めて来るであろう事は明白ですからね…。

とにかく、生き残るための武力であって、いたずらに影響力を行使して近隣諸国を脅かすことが目的で武力を保有しているわけではないのですから、これはどう考えても保有を正当化することがまっとうな考えでしょう。

「生きるための環境問題」というお考えは、素晴らしいと思います。軍事アレルギーもかなりその考え方があれば払拭することができそうな気がいたします。ちょっと筆者も使わせていただきます。ありがとうございました。

>拡大理性で考えると言う考え方もあって良いのだと思います。
>従来の理性的思考は狭く細かい思考傾向の為に 肝心要ナ重要な要素を切り捨てる傾向さえあります。
>故に 重要な思考や要素を切り捨てる為に その後に 予想しなかった展開が待ち受けているかもしれません。不幸が起こるかも知れません。

人間はやはり拡大理性、自分の個を超えた思考ができなければ本当に正しい判断というのは難しいのだと思います。

とかく自己中心的な思考が優先して、全体の幸せのために、個をいかなる優先順位にしたがって行動させてゆくべきなのかという、思考方式が未発達なままなのがいわゆる大人になれない大人なのでしょう。

左翼的な方はどうしても反権力が優先されるのでその結果については思考停止していますね。イデオロギーというのは盲目的な未熟な信仰に似ています。

宇宙の原理はもっと深い利他的原理が内在しているのに、最初から闘争して発展ですか。たしか正-反-合の順序ですべての事象は発展していくという のが弁証法でありますが、闘えば壊れますよね。違いを生かし合ってより相手のためによい結果をプレゼントするための行動でありたいものです。

  
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Posted by 川嶋努 at October 11, 2008, 10:58 pmComments(4)
この記事へのコメント
fen
October 16, 2008, 9:26 pm 
テキストコメント
 武力、というものは冷静に考えれば無駄なものですよね。他国を侵略せず、また侵略もされなければ必要無いのに、その必要性やおそれがあるから莫大な支出をして用意しなければならないですから。

とはいえ、生存競争の上で自分の縄張り(国土から経済圏等)で暮らしが成り立たなければ奪ってでも生き延びなければいけない事もあるでしょうし、逆に自分の縄張りに他人が入ってきたら自分の生活が困るから排除しなければならない事があると、(武力)衝突ということになりますね。

 自分としましては、これは生命の自然な流れであると思いますが。
エホバの証人が主張するように、エホバが現れて必要なものはエホバが全て与えてくれる、というような世界になれば争いは必要ないでしょうが。
しかし、仮にそのような神がいて、それでもこのように争い合う世界を作ったのならば、そこにも何か深淵な意味があるようにも思いますが。
(俗っぽい思考をするなら、完璧世界を眺めるよりも変化し続ける世界を見ていた方が面白いよな、などとなってしまいますが(笑))


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fen
October 16, 2008, 9:27 pm 
テキストコメント
「ストレス」を悪だと規定していらっしゃいますが、ある程度のストレスは免疫力の向上に不可欠です。同じく悪に見られがちな「コレステロール」も値が低い人は免疫力が低いそうです(平均寿命も低い)。

無菌状態ならそもそも免疫力は必要ないでしょうが、無菌室にいては世界に存在するあらゆる楽しみの殆どに触れることはできないでしょう。他人との触れ合いさえも制限されます。

以前自殺願望の人が集まる掲示板などに行ったことがあるので思うのですが、あらゆるストレス要因を排除するならば、行き着くところは「無」になるしかない。つまり死ぬしかなくなります。そういう結論から自殺願望を持つ方がいらっしゃいました。

 生きる上で最大の恐怖(ストレス)は死であり、死の恐怖から逃れるには死後になるしかない。しかし死の恐怖を克服する事に生の喜びがある。

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fen
October 16, 2008, 9:28 pm 
テキストコメント
 問題となるのは、その喜び(欲)がエスカレートし、本来不要な量までをも要求することでしょう。
力あるものが、力無いものから必要以上に搾取すればバランスが崩れ、正しい生命環は破壊されます。これを抑制するのが徳目というものでしょうね。

だからこそ、学校教育で道徳教育はされるべきなんですが、教育者はなぜ否定するのでしょうね?


ところで
>不思議と日本は、たとえばフランス語でもドイツ語でも「日本」という名詞の頭に、女性冠詞がつくのだそうです。国家的性格として女性的であると言うことでしょう。言い得て妙ですね。
を読んで、国家の源流が天照大御神という女性神からくるのとあわせて必然かな、とか思ってしまいました。
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川嶋努
October 18, 2008, 5:15 am 
テキストコメント
素晴らしいコメント感謝します。
こちらからもたっぷりコメントいたしますので、1週間ほどお待ち下さい。
忙しいのでもうしわけありません…。
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